消費社会において、購買意欲をかきたてるのは広告の存在でしょう。今年の夏はセールを通り越してバーゲンという表現がなされました。煽られてたいして欲しくないものを買ってしまった人は多いはずです。僕も昔はセール、バーゲンの時期を楽しみにしていたひとりです。けれどもミニマリストの影響を受けてからは消費に対して客観的な視角を得ることに成功したので、踊らされることはなくなりました。
人間には物欲がありますが、そもそもなぜ欲しいと思うのでしょうか。例えば近所にとても大きな家が存在するとします。「あのお家は立派ね」とご近所さんの井戸端会議のネタにされ、賞賛されるはずです。なぜ賞賛されるのか、それはご近所さんの家よりも大きいからです。つまり、比較であり、価格なのです。車も同様で、価格が高ければ高いほど、人から尊敬されるのです。なぜ尊敬されるのか、それは価格の高い車を購入できるほどの収入を得ていると推測できるからです。これも年収に対する比較な訳です。
人からどう思われるかとか人と自分はどうなのか、と考えることをやめにすると物欲をコントロールできます。毎年毎年、モデルチェンジする洋服や車を買い替える必要は無くなります。広告のせいや人との比較のせいで「買わなければならない」という精神が根付いてしまっているだけで、人間の深層心理はたいして欲しいと思っていないのです。そういえば昔、僕は遠出して原宿まで行き「せっかく原宿来たんだから何か買って帰ろう」とわけのわからない古着を買ってしまった悲惨な過去があります。原宿にはおしゃれな人々がたくさんいます。歩く広告塔に惑わされ、歩く人々のショッピングバッグに購買意欲をかきたてられていただけにすぎなのです。
さて、えせミニマリストの僕に「価格がいくらでも購入できるなら、どの車に乗りたい?」と問われたなら「ちゃんと走るなら何でも良い。いや、そもそもいらない」と答えます。維持管理が面倒くさいですし、移動手段は徒歩、公共交通機関が存在するので十分です。モノを持つことはそれだけ負担も増えるということです。
だからと言って「高級外車を乗り回し、タワーマンションの最上階に住み、良い女を抱きたい」という人を僕は否定しません。極めて健全な精神でしょうし、若者が欲を抱くのはいつの世も当たり前だと感じるからです。
結論として、欲しいものを買い求めていても、次第に心には虚無感が生まれていき、結局モノに振り回され、モノに支配される人生があるだけなのではないかということです。
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