それではなぜ岡本太郎があのような老若男女から馬鹿にされてしまいかねないパフォーマンスをとっていたのかは、もう本人が存命ではないので確認のしようがないのですが、サルバドールダリや篠原有司男のようにパフォーマンスをすることで注目をひき、自身の作品をみてもらうきっかけにつなげること。それから単純にシャイだからああいうパフォーマンスをしてしまうという見方もできると思います。篠原有司男さんは岡本太郎にそそのかされ芸術の道で生きていく決心をしたみたいなので、あのボクシングペイントは岡本太郎の影響なのでしょう。
さて、本題に入りますが、アート、芸術を志す若者は前述の岡本太郎の著作を必ずと言ってよいほど拝読しています。どれだけの若者が、岡本太郎に背中を押され茨の道に足を踏み入れて行ったことか。僕には想像もできません。岡本太郎は若者に勇気を与えているのです。その意味で岡本太郎は永遠に尊敬され続けるでしょう。
ですが、岡本太郎に背中を押され茨の道を進み、行方不明になった若者も数知れずです。きっと行方不明になった若者のほうが圧倒的に多いはずです。当然のことながら、それも自分の責任です。夢を追うこと、チャレンジすることには、リスクが伴うのですから。
僕が、岡本太郎の功罪の罪のほうについて考えてしまうのは、生きていくため、生活していくためには生活費つまりお金が必要であるということ。この点を大金持ちのご子息である岡本太郎には、実感として欠けていたのではないかと思ってしまうのです。岡本太郎は1930年から10年間、フランスのパリに留学していますが、本人はそれについて「ラッキーだった」と言っています。これは一般家庭や中流以下の家庭にとっては「どれだけ恵まれているんですか(怒)」と顰蹙を買いかねない発言です。つまり、岡本太郎はスタート地点から普通ではなかったので、お金の心配をするような必要は無かったと推察できます。
若者に「芸術でどうやってメシを食うんですか」と聞かれた岡本太郎は「俺の所へ来い。カレーライスをごちそうしてやる」と言ったそうですが、それは質問に対する解答になっていませんし、若者ときちんと向き合っているとは言えません。
前述の『今日の芸術』『自分の中に毒を持て』は本当に名著です。読んだことのない人は、ぜひ一度、手に取ってみてはいかがでしょうか。ただし、一般家庭出身の人間が書いたものではないので、それを必ず頭の片隅に置いておかなければなりません。
岡本太郎「キャンバスからはみ出せ」の捉えかた☟
http://tundereboyz.blogspot.jp/2017/05/blog-post_18.html
0 件のコメント:
コメントを投稿