日本で最もシリーズ化されている映画は『男はつらいよ』です。たとえ、このシリーズの映画を1本も観ていない人でも、「寅さん」と伝えればあの渥美清演じる寅さんの風貌を連想することができると思います。
映画『男はつらいよ』シリーズはかなりの頻度で再放送されています。当然、需要すなわち人気があるから再放送されるのですが、『男はつらいよ』の映画の内容は完全にパターン化されており、1発ギャグのように結末やオチがわかってしまうものなのにもかかわらず、観る者を飽きさせない理由は何なのかについて考えてみたいと思います。
①古き良き昭和の日本人が描かれている
②それぞれのマドンナに思い入れがある
③「久しぶりにちょっとだけ観るか」から最後まで観てしまう
④渥美清の声が良い、口上が素晴らしい
①ですが、これは懐かしいという感情を観る者に思い出させるということです。昔、映画館で寅さんを観た、こんなファッション流行ったよね、とかです。僕自身も子どもの頃、お正月の親戚の集まりで寅さんをみんなで観ていた時、そのおもしろさが理解できませんでした。ですが、今は大好きです。映画『男はつらいよ』には、喜怒哀楽のすべてが詰め込まれており、それを見事に渥美清ら演者が表現しています。哀愁とでもいいましょうか。②は全シリーズにマドンナが登場する映画なので学生時代にファンだったとか、このアイドルを応援していたとかです。要はマドンナ狙いで寅さんを観て、ハマってしまったケースです。③は、たいして興味もないのにやはり昔を懐かしんで観てしまう行動です。最後の④ですが、おそらく『男はつらいよ』を観て飽きない理由は渥美清の存在が最も大きいような気が致します。つまり、フーテンの寅のキャラクターと渥美清がドハマリし、大化けしたということです。ご存じの通り、渥美清は現代の言葉でいうところのイケメンとはかけ離れています。しかし、演技力は高く、目で演技ができる数少ない名優だと思います(目は本当に細く小さいですが)。
小林信彦の著書『おかしな男 渥美清』は渥美清の詳細な人間性を知るうえで、非常に興味深いものとなっています。この本を読むと、やはりコメディアンは頭が良くなければなれないのだと思い知らされます。
名優、渥美清が亡くなってから早いもので、もう20年経つのですね。それでも寅さんは永遠にわれわれの心の中から消え去ることはないでしょう。今、この時代があるのは、昭和という時代があったからなのですから。
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