予兆はありました。2016年の1月に突然「SMAP解散⁉」という報道がなされたのです。その直後、SMAPの5人が自身の冠番組で横一列に並び、ファンではない人に謝罪しているように見える謎の謝罪を生放送中に行い、いったんは解散をしないような態度を見せていました。ところが、やはりSMAPは2016年12月31日をもって解散という悲劇的な結末を迎えてしまったのです。
SMAPはアイドルの枠にはまることのない、いわば国民的なスター集団だと思います。日本人の老若男女でSMAP5人の名前と顔を知らない人はいないのではないでしょうか。完全にどこの事務所に所属しているかなど関係のないところまでたどり着いてしまったのがSMAPです。
もともとSMAPはデビュー直後から、現在のようなスター街道をひた走る存在ではありませんでした。言葉は悪くなってしまいますが鳴かず飛ばず状態だったわけです。そのSMAPのマネージャーになると買って出たのがIさん(ネットで実名が公表されていますが裏方の方ですので控えさせていただきます)なのです。Iさんはジャニーズ事務所のお茶くみをしていた一介の事務員だった方ですが、SMAPのマネージャーを担当することになります。この点が非常にドラマチックだと僕は思います。おそらくこのIさんがSMAPのマネージャーになることがなければ、SMAPはジャニーズ事務所の冴えないグループとして誰の記憶にも残ることなく、ひっそりと忍者のように姿を消していたかもしれないのです。
ジャニーズ事務所のグループのメンバーをジャニーズJr.から選抜するのは、社長であるジャニー喜多川さんです。大勢いるジャニーズJr.からデビューできるのはダイヤの原石中の原石です。それでもSMAPが売れなかったのは時代背景が絡んでいたと考えることができます。SMAPは光GENJIのバックで踊っていたのですが、光GENJIの解散と共に、芸能界の特に男性アイドル全盛の時代は過ぎ去り、音楽番組すらほとんどないような時代に突入していきました。そんな時代にSMAPはデビューします。
SMAPがはじめてオリコンチャートで1位に輝いたのが『Hey Hey おおきに毎度あり』です。これはSMAP12枚目のシングルになります。ですが、それ以前の曲も非常に良い曲が多いのです。特に『心の鏡』(3枚目シングル)などは歌詞もメロディーも素晴らしい曲です。SMAPの初期の頃の曲があまり売れていない、印象に残っていないと感じるのは前述の通り、時代により音楽番組が少なかったからで、決して彼らがダメであった訳ではないのです。しかし、音楽番組がなかったのです。これは当然、マネージメントする側は悩むでしょう。どのようにSMAPを売り込めばよいのかと。
ずいぶん昔の雑誌のインタビューになりますが、ジャニー喜多川さんは「SMAPを平成のドリフターズにしたい」という構想を抱いていたそうです。つまり、音楽番組が少なく、売り込む場がないのなら、バラエティーに進出させ売り出せば良いというもの。しかし、当時の芸能界において、アイドルがカツラを被りコントをするなどご法度でした。それでも、もうそれしかなかったのだと思います。バラエティーでコントをし、笑いを取れるアイドル。そのはじめて存在がSMAPであり、それは絶望から生まれた希望であったと言えるでしょう。
それからSMAPが国民的になった背景に、個人個人が名前を売り、活躍する存在になっていったことが挙げられます。SMAPというグループを家とし、そこから個人個人が活動をし、再びSMAPという家に帰っていくのです。これは、現在のアイドルグループでは当たり前のことですが、当時は珍しかったスタイルです。
SMAPにおいて最初に人気が出たメンバーは木村拓哉さんです。彼のことを語る必要はないくらい熱狂的な人気でした。ドラマ『あすなろ白書』で火が付き『若者のすべて』で絶頂に達した木村拓哉さんにはキムタクという呼称が付きました。現代では考えられないほどの社会現象を巻き起こしたのがキムタクです。特に1995、1996年あたりはキムタクを真似するかのように街にロン毛の若者が溢れていました。
それからマイペースそうな稲垣吾郎さんは、SMAPの中では最初から役者として異彩を放っていました。とにかく独特な存在で、ジャニーズ事務所のタレントとしては珍しくわき役を専門としている印象すらあります。
そして、SMAPのリーダーである中居正広さん。中居正広さんと木村拓哉さんは、同学年であり高校の同級生でもあります。SMAPのバランスを保ってきた重要なリーダーであり、早い段階から司会業に目をつけ、努力を重ねた結果、いまや中居君といえば司会者と言っても過言ではないほどの実力を身に付けています。今後、仮にジャニーズ事務所を離れても司会として立派に仕事をこなしていくにちがいありません。
SMAP最年少の香取慎吾さんは、SMAPを結成した時にはわずか11歳。ランドセルを背負って小学校に通っていたのです。香取慎吾さんは退社してしまった元マネージャーのIさんを母のように慕っていたそうです。それもそのはず、人生のほぼすべてをSMAPで過ごしたようなものです。香取慎吾さんはバラエティーだけでなく、絵を描くなどのアート系の仕事も数多くこなしています。美的感覚が人よりも優れているのです。
SMAPの中で最後に主演ドラマに抜擢された草彅剛さんは、結果的にSMAPの中で最も役者らしい役者になっています。この草彅剛さんを元マネージャーIさんは非常に気にかけていたと言います。おそらくIさんはSMAP全員を活躍させることが自分の使命だと、全員が活躍してSMAPなのだと考えていたのでしょう。だとするならば、なかなか日の目を見ることが出来なかったメンバーを一人前のタレントにしたという自負、逆にタレント側からすれば、自分を売り込んでくれた恩義、双方に絶対的な信頼関係が存在することは容易に想像がつきます。
どのような事情がありSMAPの元マネージャーであったIさんがジャニーズ事務所を退社することになったかは僕にはわかりません。わかりませんが、Iさんのジャニーズ事務所退社がSMAPの終焉を迎えるきっかけとなったことは明らかです。あれだけ売れなかったSMAPを国民的アイドルに成長させたIさんの能力は誰にも想像できないほど、高かったということです。ジャニー喜多川社長は、Iさんに全幅の信頼を寄せていたといいます。しかし、結果的にその能力の高さが、出る杭は打たれるという結果につながってしまったのだから皮肉な話です。
これはひとり言ですが、もしも木村拓哉さん以外がジャニーズ事務所を離れる場合、僕には唯一、非常に楽しみにしていることがあります。それはSNSです。ジャニーズ事務所はSNS禁止の芸能プロダクションです。肖像権、パブリシティ権を気にしているのでしょうが、IT化が進んでいないのです。退職したIさんはジャニーズ事務所のIT化を進めようとしていた時代の流れを敏感に察知できた方ですが、道半ばでジャニーズを去りました。正直、僕は中居正広さん、稲垣吾郎さん、草彅剛さん、香取慎吾さんのインスタグラムやTwitterが見たいです。もちろん木村拓哉さんのSNSも見たいですが、ジャニーズ事務所に留まるのであれば、よほどの体制の変化がない限りは、難しいでしょう。
SMAPに関することで僕が個人的に忘れられないのが、森且行さんが最後にスマスマに出演したシーンです。感極まって泣いてしまった司会の中居正広さんに代わって木村拓哉さんがすかさず司会進行をしたあのシーン。あのシーンは絆と言い換えても良い素晴らしい瞬間でした。
SMAPひとりひとりの似顔絵を描きながら、涙が込み上げてきました。あと約2ヶ月でSMAPが無くなってしまうのです。SMAPの解散が夢であってくれ、と僕はこの約2ヶ月間思い続けていたのです。が、そうではなく今まで長い夢を見させてもらったのだと考えを改めることにしました。これは終わりではなく始まりなのです。どれだけの人々がSMAPに元気や勇気、感動、笑顔をもらったことでしょう。だからこそ、僕からSMAPに言えることは次の一言だけなのです。
ありがとう 世界にひとつだけのSMAP
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