2015年1月19日月曜日

いじめや戦争がなくならない理由

 大変、重いテーマになりますが、皆様にも是非最後までお付き合い頂けたら幸いです。本日は『いじめや戦争がなくならない理由』についてです。僕自身は、戦争の経験はないものの、いじめというのは身近な問題であり、学生の時よりも仕事をし始めてからのほうが、いじめというものを深く意識しています。なぜ学生の時よりも社会の中で、いじめがあるのか。それは序列や役職や雇用形態が絡んでいるような気がしてなりません。 
 例えば、正社員と派遣社員がいて、全く同じような仕事をしているにも関わらず、正社員のほうが高圧的なのは、雇用形態が強く、正社員側が偉いと考えているからです。実際、僕が学生の時、同じ学部の女の子とバイト先について話した際「社員さん」と呼んでいたのに、驚いた記憶があります。その職場では、社員はバイトのことを低賃金で使える、いわば使いパシリとしか認識していないのだと思います。自分で会社を作った社長が、社員やバイトをコキ使う。これはまだ理解できます。しかし一介の社員が自分より雇用形態が弱い人たちに高圧的な態度を取るのは違う気がします。一種のいじめだと思います。
 子どもの頃のいじめといえば、よく女の子たちがやる「Bちゃんとあそぶのやめよう」ってやつ。これはグループの中にA,B,C,D,Eの女の子たちがいてAがBを気に入らない場合にC,D,Eを巻き込んでBを仲間外れにするいじめです。僕が小学校の時、クラスの女の子のグループから、ある日突然、1人の女子が外れていて不思議でしたが、おそらく上記のようなことが行われていたのです。これはC,D,EがBを快く思っていても、Aに従わなければならない所が問題です。Aは我が強く、C,D,EはAに従わないと次は、自分が仲間はずれにされるかもしれないから、従ってしまうんですね。ここまで露骨なことは大人の社会にはないのかもしれませんが、特定の人間の噂話を言いふらすような人はいそうなものです。つまり、見た目や肩書が社会人でも、中身は子どものままなのです。
 次に戦争についてです。昔から戦争が全くなくならないので、不思議でしょうがありません。だって国の中で人を殺したら殺人罪に問われるわけです。ところが国同士の殺し合いは殺人罪に問われないわけです。戦争は、宗教上の対立とか軍事産業を儲けさせて自国の経済を良くさせるためとか諸説あります。国際的に、法律を定めて戦争禁止を掲げれば良いのに、誰もそれをやろうとしないのはなぜなのか。
 ここからは、人間の本質的な部分について考えます。人間は根本的に争いが好きであり、誰もが自分は他人よりも上か下かという見方を無意識のうちにしているのではないでしょうか。職場におけるいじめの場合、「俺は社員だ。お前より偉いんだぞ」とか「あんな奴より俺のほうが優秀だ」あるいは単純に気に入らないとか。そんな幼稚なレベルでの問題のような気がします。そして戦争の場合は「我々の国のほうが経済的に上だ」とか「隣国は〇〇教だ。理解できない」。このような理由により植民地支配を恐れて先に攻撃をするのではないでしょうか。
 そもそも絶対的に、自分に自信があるものが1つあれば、いじめや戦争をしようという気にはならないはずです。だから、いじめや戦争をするということは、自分は弱いんですと言っているようなものなのかもしれません。
 
 だとするならば、解決策は1つだけ。人と自分は違うということを理解することです。








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