子どもは天使のようにかわいいという比喩は言い得て妙です。なかには子どもの奇声が嫌いとか、わけのわからない質問ばかりしてくるから嫌だ、なんて声もありますが、基本的に人間は子どもが好きだと思います。ここからは僕の疑問なのですが、自分自身に子どもがいないせいか、子どもへの愛情表現の方法に疑問を感じることがあります。例えば、お子様で賑わうおもちゃ屋さんに行くと、はじける笑顔を爆発させて子ども達がはしゃいでいます。親御さんや祖父母の方がたは財布のひもをつい緩めてしまうのは当然のことだと思います。ですが、おもちゃをいくらでも買い与えることができる保護者が存在する場合、何でも買い与えること=愛情が深い、ということになるのでしょうか。
自分の過去を振り返ってみると、おもちゃというものを買ってもらった記憶がありません。これは我が家が裕福ではなかった(お年玉なんて高校まですべて没収されてました)という経済的事実もありますが、だからといって親から愛情を感じなかったということはありませんでした。それどころか僕は親に感謝していますし、親も僕に対して「あ~もっとおもちゃを買ってあげればよかった」とは考えていないはずです。
そうなってくると、日本人特有の「ママ友の子もこのおもちゃ持ってるしうちの子にも買ってあげないとかわいそう」という下らない大人の事情が深く起因している気がしてきます。
とにもかくにも、親が子どもにできることは限られています。おもちゃを単に買い与えるだけでなく、子どもが大人になった時に困らないような育て方を日々模索しながら、子育てをしていくことも愛情表現のひとつだと思います。
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