読書をしていると稀に「あ~この考え方好きだなぁ」と感激することがあります。それからその作家のプロフィール欄をチェックすると、もうすでにお亡くなりになっていることが多いです(僕だけでしょうか)。そして、存命であればあまりにも年配の方であったのに発想や考え方が柔軟なことに驚かされることがあります。その作家が現在、存命でなくても、本を読めばまだどこかで生き延びているのではないかと錯覚してしまうほどです。
たとえば、吉本隆明さんは僕にとっては大好きな作家であり、残念ながらすでに他界してしまっているのですが、本を読むと前述のように、まだ生きているような気がしてなりません。言霊と言われるように、ひとつひとつの言葉に魂が込められているからでしょうか。また、性格的な部分が自分と似ているから好きであるという条件が重なっていることも事実です。
吉本隆明さんを知らない人は、吉本ばななさんのお父さんと言えば、何となくピンとくるのではないかと思います。吉本ばななさんは人気作家であり、吉本隆明さんの二女であります。吉本隆明さんの肩書が、文芸評論家や思想家であることから難解な印象を持たれる方はいらっしゃると思いますが、文章は非常にわかりやすく書かれています。頭の良い人の文章がそうであるように、読者にわかりやすく、また伝わりやすいものになっています。
僕が吉本隆明の著作で好きなのは『ひきこもれ ひとりの時間を持つということ』です。まさに世の中の負のイメージを一掃するもので、物事の考え方、捉え方はひとつではないと教えてくれる一冊です。視角の勉強になる本だと思います。
吉本隆明さんは存命ではありませんが、僕が感じるように、どこかに生きているような錯覚を持つファンは多いと思います。つまり、作家は死んでも尚、生き残ることが可能なのです。それはいろいろな仕事の分野で大活躍をした著名人が一度ブレイクし、死後にまた再ブレイクを果たす感じに似ています。逆に言うと、著名な人間の仕事は、死んでから認められれば本物であり、生きている時だけ評価される人は死後、たいして人々の心に残ることは無く、また蒸し返されもせずに案外さらっと忘れ去られてしまうのかもしれません。
自分に似た考え方を持つ作家の本に出会えることは幸せです。世の中がどちらかに寄りかかっている時こそ、いろいろな思想について調べたりすると自分の視野が広がるはずです。読書が好きな方はもちろんのこと、読書が苦手な方もぜひ自分の好きな作家を探してみると楽しいと思います。
吉本隆明の思想は、学校の教室における休み時間、ひとり端っこのほうで読書をしているおとなしい学生の思想そのものです。ですが、その思想が間違っていると誰が言い切れるのでしょうか。おそらくそのような学生は、教室において浮いた存在です。教師は「どうして友達をつくらないんだ」と煙たい、面倒くさい存在として認識しているだけです。ところが、その学生はその空気、雰囲気をきちんと冷静に状況把握しているのです。これは僕自身がそうであったから断言できることです。
学校とか社会がまともだと信じて疑わない人々には、吉本隆明の思想が必要だと思うのですが拒否して受け入れられないことは明らかです。だからこそ、彼の思想が輝きを失うことはないのでしょう。
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