日本一の漫才師は誰かと国民投票したら、間違いなくトップ当選するのが横山やすしだと思います。故人であり、かなり昔の話になりますが、漫才を全国的な人気に押し上げた、あの漫才ブームを牽引したのがやすしきよしでした。そのやすしきよしのやすしが横山やすしその人です。
もしかすると、今の若者は漫才と言えばМ1グランプリのような賞レースを連想するのかもしれません。漫才ブームが訪れるまでは、漫才は落語と同様、芸能の分野において非常に伝統的な芸ではあるものの、東京の方面ではコントが主流であり、漫才はどちらかというと関西方面のものという印象でした。コント55号が一世を風靡していた頃、まだ漫才ブームは来ていなかったのです。
1980年から82年までの間を漫才ブームと見る説が有力です。リアルタイムで観ることが不可能でしたが、これは今考えても非常に短いブームであったと思います。当の漫才師たちは文字通り怒涛のような日々を過ごし、ほとんどの漫才師がテレビから姿を消しました。漫才ブームの只中で、ブームの終りを早い段階から予見していたビートたけしと島田紳助は、それぞれひとりで芸能界に生き残る術を見出しています。ビートたけしは冠番組を仕切るタレント、映画監督として。島田紳助は司会者として。
漫才をするためだけに生まれてきた横山やすしは、漫才ブーム後、ビートたけしや島田紳助のようにピンで大活躍することはできませんでした。事件を起こすことを繰り返すスキャンダルなイメージがつきまとい、次第にその事件をネタにすることも笑えなくなっていきました。それはきっと時代背景の問題です。何でも芸の肥やしとする風潮は終わりを告げていたのです。
セスナ機を乗り回し、競艇ボートをこよなく愛し、陸海空のすべてを制覇した横山やすしは破天荒とか、良い意味で頭がぶっ飛んでるとか言われますが、横山やすしが世に出れたのは西川きよしとコンビを組んだことが大きいと思います。彼は相方である横山やすしに尽くしたのでしょう。5分5分で張り合う漫才コンビはやすしきよしが初めての存在なのかもしれません。
やすしきよしの代表作である『同級生』という漫才は、痛快です。ボケとツッコミが巧みに入れ替わり、優等生キャラのきよしと不良キャラのやすしの掛け合いが観る者を飽きさせません。感心してしまうのは、2人の漫才に無駄な言葉が少ないということです。加えて客いじりを交えることで会場を一体化させることにも成功しています。
本当にお笑い、人を笑わせる職業は素晴らしいです。腹を抱えて笑った後、観客はすっきりした爽やかな気持ちになれます。それは苦労と努力を積み重ねた芸人だからこそなせる技であり、横山やすしのような漫才師はもう2度と現れないと僕は思うのです。
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