自分では意識していなくても他人から指摘されて自分はそう思われていたのかを知る、そんなことがあるかと思います。たとえば僕自身は意識していないのですが、人当たりがすごく良い、そう評されます。これは光栄なことです。両親が人当たりが良いので、遺伝みたいなもの。逆に無愛想と言われたことは1度もありません。人当たりが良いを、感じ悪くいうと外面が良いになるでしょう。僕は別に外面が良いと指摘されても困りませんね。どうでもいいです。他人からどう見られていようと本当に気にすることがないのが僕の強み。コントロールできないことに関心を持たない。これは大切なことです。他人が自分をどう思うかどうかは、こちらにはコントロールできない問題です。だからそんなことを気にしていても仕方がないのです。
保育系の仕事に就いていた時に、子どものケンカの仲裁をしなければなりませんでした。それは大切な仕事の1つでした。ある時に「キモい」「キモくない」ともめている子どもたちがいました。僕はキモいと言った側の子どもに「〇〇くんの何がキモいの?」と尋ねたら「存在がキモい」と言うので「キモいと言われたら傷つくでしょ。そういうことを言っちゃあダメだよ」と諭したのですが、キモいと言われた側の子どもは納得せず「そもそもキモいって何?」と言い出し、施設内がカオスとなってしまったことがありました。大人でも「あいつの顔キモい」とか幼稚なことを言う人がいます。ところが友だち同士で自分が変顔をした際に「キモっ」とかいう言葉が飛び交ったりします。これは傷つきません。ということは信頼関係が築かれた状態における「キモい」は成立することになります。
僕はありがたいことに他人からキモいと認定されたことがありません。それから世代的にも「キモい」と言う習慣がなかったので、それも起因しているでしょう。ミニマリストになってからよりふつうの大切さを知りました。ふつうはシンプルな生活を送る上で非常に大事なことです。昔の僕は人と違うことを求め、確かに「個性的だ」と認識されましたが、それは本当の僕ではなく、偽りの自分でした。つまり、無理をしていたということです。「おしゃれさん。おしゃれさん」と言われれば言われるほど、本当の自分と乖離していき、とてつもない疲労感に包まれてしまいました。アフロヘアを卒業した時、僕は肩の荷がおりました。それからミニマリストになることで、本当の自分を手に入れることに成功し、シンプルでふつうの暮らしが僕の性に合っていることに気づかされるに至りました。
みなさまも他人からどう見られているかを気にしている人は多いのではないでしょうか。難しい事かもしれませんが、あまり気にしないようにする。「キモい」と言ってくる人と関わらないようにする。「頼むから死んでくれ」と言われたら、大笑いして「生きます」と言い返す。とにかく他人からの評価だけが人生でないことは確か。環境も大切です。明るく楽しく生きて生きましょうね。
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