あるラッパーの人のYouTube動画を見て、感動していたらその人がすでに他界していた。そんなことがありました。死んでからバズるの典型例ですね。僕が大好きなフジファブリックの志村正彦さんもそんな感じ。槇原敬之さんに普遍的名曲『若者のすべて』をカバーされていますが「僕が知った時には残念ながらお亡くなりになっていた」とおっしゃっていました。とても印象的でしたね。死んでからバズるのは日本特有な気もいたします。日本人には夭折した人を神格化する文化が存在します。それから天才は夭折してしまうので仕方がないという見方もあると思います。
ものを作るクリエイターにとっては、作品は子どもと同じ。自分が死んでも作品が残り、評価されるのであれば、これはクリエイター冥利に尽きるでしょう。思春期の頃、尾崎豊にハマったことがあるツンデレボーイズでございます。その時にはすでに尾崎豊は亡くなっていて、それでも学校では彼の作品が流行っていました。僕は今でもたまに尾崎豊を聴きます。若い人にとっては尾崎はどのような印象、影響を与えているのでしょうか。「怒りが狂気、怖い」そのような感じなのかもしれませんね。今では校内暴力や学生運動なんて、永遠の昔の話。よって尾崎がバズるとは思えません。しかし、尾崎豊の曲は今聴いても決して古臭くなく、全然聴けると考えております。
僕の作品は死んでからバズるということがあるでしょうかね。まあとにかく死んだ後の話なんて自分には関係のないことですから、考えることが骨折り損のくたびれもうけです。とにかく1日1日を一生懸命生きることが必要なのではないでしょうか。後悔しないためにもね。
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