「実は友だちが1人もいないんだ」こういう人は少ないと思います。つまり、人は誰もが誰かしらとつながっているということになります。それでは友だちというものはいつくらいからその存在を認識するに至るのかを考えてみた場合、幼稚園や保育園なのではないでしょうか。僕自身も初めて友だちができたのが幼稚園でしたね。今でも名前と顔を思い出せます。元気にしているでしょうか。僕が小学校に上がってからファミコンというものが流行りました。どの家庭にも普及しておりましたが、裕福ではなかった我が家にはありませんでした。そのためか、友だちが僕の家に遊びに来たことは皆無でしたね。時代は変わり、最近の子どもたちは、どのような遊び方をしているのかというと、アウトドア派とインドア派に大きく分かれると思うのです。アウトドア派はサッカーや野球をして遊ぶ。インドア派はNintendoのスイッチで遊ぶ。そんな感じだと思います。どちらの結束力が強いのかというと、僕はアウトドア派だと確信しております。インドア派の友だち関係はスイッチがなくなったら、希薄なものとなるはずです。一方でアウトドア派は、たとえ野球やサッカーができなくても何かをして遊ぼうと試みます。人間関係は継続されるのです。
子どもの世界における友だちというものは社会に出る前の人間構築の礎となる大切なものと考えることができるでしょう。世の中にはいろいろな授業、講義が存在しますが「友だちの作り方」を教えてくれる授業はどこにもありません。自分で学習するしかないのです。よほど人間的に問題がある場合を除いては、ふつうにしていれば自然と友だちができると思います。僕はおっとりしているので、今までにできた友だちもおっとりしている友だちが多かったですね。それが共通点でした。
高校生の頃、変わり者の教師がいて、僕は「いつものメンバーとばかりつるむな」とお叱りを受けたことがあります。彼は「いろいろな生徒と関わるべき」という持論があったのでしょう。しかし、僕は狭くても深く人と関わりたいと考えていたので、薄く広い人間関係は今でも苦手です。
とにかく友だちは宝物です。友だちは時に笑い合ったり、時には叱咤激励してくれたり、人間には必要不可欠な存在です。友だちがいないかたで、お友だちを求めているかたは、共通点をきっかけにしてみると良いのではないでしょうか。性格が似ているとか、趣味が合うとかですね。みなさまに素敵なお友だちができることを僕は切望しております。
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