僕は以前、無印良品が大好きで服も無印一色でした。年齢が上がってしまったので、もう無印の服は卒業しましたが、友だちから「あっそれも無印?」と度々聞かれるので困っているところです。それは友だちの中で僕が完全に無印良品にどっぷりと浸かっていると思われているからだと分析しております。確かにイメージというものがあるのも頷けます。つい最近も人気の女優さんが庶民派的なイメージで売っていたのに、インスタにあげた写真の中で400万円もする時計がアップされていて、ファンが興ざめしてしまったそうです。今日僕が不思議に思うことは、そんなイメージの怖さについて。
昔、アフロにしていた時に当然ファッションもファンキーな感じだったので、どこへ行っても「おしゃれさん、おしゃれさん」と言われスナップされることもしばしばでした。その頃の僕は精神的に疲弊していて、おしゃれにならなければならないと呪文のように呟いていました。結果的にその頃の僕のイメージはおしゃれな若者だったと思います(スナップという結果を残しました)。ところが実際の僕の根幹にあるのは両親から受け継いだ真面目な部分と、今、ミニマリストになったようにシンプルな部分があるだけで、本当にふつうの人間なのです。そんなふつうの人間がアフロにして全身おしゃれをしてみると、当然ギャップが生じます。その差が開けば開くほど疲弊していくことに僕は気付いてしまったのです。今の僕のイメージは本当になんの取り柄もないふつうのやつ。街を歩いても誰1人として振り返りません。アフロ時代を知っている人からは「どうしちゃったの?」と尋ねられることもあります。「これが本当の自分だから」と言うと「アフロ似合ってたのに・・・」と残念がられるので、やはりイメージって怖いと思ったりもします。
それから某俳優がユニクロの服を安いと失言しましたね。これもイメージの問題だと思うのです。僕はユニクロの服を安っぽいとは思いません。今日も行きましたが、きちんとした服がそれなりの価格で提供されていて、今の若者をうらやましく思ったりもします。某俳優は数十年前のユニクロのイメージを引きずっているのでしょう。ユニクロは着実に、そして確実に進化を遂げていて、多くの人々を魅了していると僕は思います。このようにイメージとは恐ろしいものであり、1度イメージが定着してしまうと、そこから抜け出すのは至難の技だと考えることができます。
これからも僕は両親から受け継いだ真面目な面と、努力して掴み取ったミニマリストの道を突き進んで行きたいと思います。どんな形であれ、自分を表現することは大事なことだと思うので、これからも不思議に思うことや疑問に思うことを僕なりに論じて行きたいと考えておりますので、お付き合いいただけるかたはぜひこれからもよろしくお願い申し上げます。
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