2015年9月20日日曜日

北野武の存在

 テレビの中で、絶対になくてはならない存在は人それぞれ好みが分かれるところだとは思いますが、確実に名前が挙がるのが北野武でしょう。それはある人にとってはコメディアンとしての北野武であり、またある人にとっては映画監督であったりすると思います。それ以外にも作家、絵描き、俳優もこなす巨大な彼を否定することなど言語道断です。
 僕は漫才ブームを知りませんし、その後の元気が出るテレビのすごさも知りません。僕が北野武を初めて知ったのは学生時代によく通ったつぶれかけの古本屋にあった本でした。当時、北野武はテレビにほとんど毎日のように出ていましたから、名前は知っていました。しかし彼に深い興味を抱いたのは、本によってでした。本のタイトルは覚えていないのですが、「人間は勉強したいと思った時に勉強するべきだ」というニュアンスの一文を記憶しています。その時の僕は勉強は学生の時だけにするもので、大人になったら勉強なんてしなくて良いと考えていました。北野武は漫才ブームの時以来、勉強の連続で芸能界でどのように生き残っていくのかを絶えず考えていたのだと推測できます。漫才ブームの時に盟友である島田洋七が北野武の家に遊びに行ったら、本だらけで驚いたという回想を、ラジオで語っていたのを僕は覚えています。
 本で北野武を知った僕はそれから彼の映画に興味を持ち、キッズリターンからさかのぼって、観ていきました。その感想は、詩的である、の一言に尽きます。ユーモアと暴力と性と死が北野武の映画には溢れていて、「芸人は動物であるべきだ」という彼の言葉を連想させます。それから北野武の映画は年々、大衆に分かりやすいような撮り方に移行している点も忘れてはいけないところです。
 映画の後に、テレビの北野武に興味を持った僕ですが、ユーチューブでツービートの漫才を観て爆笑したり、テレビタックルで番組の最後に短い言葉で見事に締めたりするところを観て感心させられたり、27時間テレビでくだらないかぶりものをしているのを観たりして、いったいどれが本当の北野武なのかと疑ってしまいます。
 最後に僕は人間、北野武に興味を抱きました。かつての相棒、ビートきよしさんを自分のプロダクションに迎え入れるあたりが、北野武の魅力と偉大さを物語っているような気がします。あの天才、松本人志でさえ「人間のでかさではたけしさんには勝てない」と言っていたほどです。北野武にはいつまでも健康で、一つでも多くの仕事をこなしてほしい、というのは僕の願いであり、また世論の願いでもあるはずです。

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