2017年7月31日月曜日

好きな作家、吉本隆明の思想

 読書をしていると稀に「あ~この考え方好きだなぁ」と感激することがあります。それからその作家のプロフィール欄をチェックすると、もうすでにお亡くなりになっていることが多いです(僕だけでしょうか)。そして、存命であればあまりにも年配の方であったのに発想や考え方が柔軟なことに驚かされることがあります。その作家が現在、存命でなくても、本を読めばまだどこかで生き延びているのではないかと錯覚してしまうほどです。
 たとえば、吉本隆明さんは僕にとっては大好きな作家であり、残念ながらすでに他界してしまっているのですが、本を読むと前述のように、まだ生きているような気がしてなりません。言霊と言われるように、ひとつひとつの言葉に魂が込められているからでしょうか。また、性格的な部分が自分と似ているから好きであるという条件が重なっていることも事実です。
 吉本隆明さんを知らない人は、吉本ばななさんのお父さんと言えば、何となくピンとくるのではないかと思います。吉本ばななさんは人気作家であり、吉本隆明さんの二女であります。吉本隆明さんの肩書が、文芸評論家や思想家であることから難解な印象を持たれる方はいらっしゃると思いますが、文章は非常にわかりやすく書かれています。頭の良い人の文章がそうであるように、読者にわかりやすく、また伝わりやすいものになっています。
 僕が吉本隆明の著作で好きなのは『ひきこもれ ひとりの時間を持つということ』です。まさに世の中の負のイメージを一掃するもので、物事の考え方、捉え方はひとつではないと教えてくれる一冊です。視角の勉強になる本だと思います。
 吉本隆明さんは存命ではありませんが、僕が感じるように、どこかに生きているような錯覚を持つファンは多いと思います。つまり、作家は死んでも尚、生き残ることが可能なのです。それはいろいろな仕事の分野で大活躍をした著名人が一度ブレイクし、死後にまた再ブレイクを果たす感じに似ています。逆に言うと、著名な人間の仕事は、死んでから認められれば本物であり、生きている時だけ評価される人は死後、たいして人々の心に残ることは無く、また蒸し返されもせずに案外さらっと忘れ去られてしまうのかもしれません。
 自分に似た考え方を持つ作家の本に出会えることは幸せです。世の中がどちらかに寄りかかっている時こそ、いろいろな思想について調べたりすると自分の視野が広がるはずです。読書が好きな方はもちろんのこと、読書が苦手な方もぜひ自分の好きな作家を探してみると楽しいと思います。
 吉本隆明の思想は、学校の教室における休み時間、ひとり端っこのほうで読書をしているおとなしい学生の思想そのものです。ですが、その思想が間違っていると誰が言い切れるのでしょうか。おそらくそのような学生は、教室において浮いた存在です。教師は「どうして友達をつくらないんだ」と煙たい、面倒くさい存在として認識しているだけです。ところが、その学生はその空気、雰囲気をきちんと冷静に状況把握しているのです。これは僕自身がそうであったから断言できることです。
 学校とか社会がまともだと信じて疑わない人々には、吉本隆明の思想が必要だと思うのですが拒否して受け入れられないことは明らかです。だからこそ、彼の思想が輝きを失うことはないのでしょう。

2017年7月30日日曜日

クワガタやカブトムシ

 僕は幼少の頃、夏の昆虫であるクワガタやカブトムシに興味を持ったことがありません。虫自体が苦手であり、虫取り網を持って森を散策したことがないのです。それでも身近に小さい子がいたりすると、クワガタやカブトムシを獲ってあげたくなったりします。カブトムシやクワガタは単純にどの木にも生息しているわけではなく特に湿っている木にいることが多いです。検索をすると、クヌギの木にいることが多いようです。公園にも存在している木のようなので、近隣に森のようなところがない場合は、公園のクヌギを狙って探してみるしか手段はなさそうです。あとは購入の選択肢になりますが、カブトムシもクワガタも探して探して発見した時の喜が大きいので、購入するよりは頑張って探してみたほうがひと夏の思い出にもなりそうです。
 そういえば、夏に入ったからでしょうか、よく行く図書館の配置が変わっており、クワガタやカブトムシのコーナーが増設されていました。さすがの僕も本で読むよりは実際に捕獲して育てる方が楽しいと思います。家でも今、カブトムシを育てています。実物のカブトムシは図鑑の物とは異なり多少の傷があったりします。闘いの勲章という感じが致します。

2017年7月29日土曜日

水のおいしさ

 汗をかくことが多くなる夏。水分補給を怠ると熱中症になりかねません。みなさまも注意しているはずです。僕は何年か前の夏、ポカリスエットみたいなものばかりを飲んでいて秋になったら胃の調子が悪くなった経験があります。それから普通の水を飲むようになりました。今のところ、水を飲んで具合が悪くなった事はないので、体に合わないということはありません。
 水道水、整水器にかけた水、ミネラルウォーターを飲み比べると、水といってもいろいろな味があることが確認できます。残念ながら井戸水を飲んだ経験がないのですが、おそらく井戸水にも特有の味があるのではないでしょうか。
 余談になりますが、ダイエット中にどうしてもお腹が空いた時には水を飲むことをおすすめします。水で空腹が満たせますし、カロリーも0です。正直おいしさはありませんし、最初は難しいですが、慣れてくるとダイエットの味方となってくれるのが水なのです。水を制すものはダイエットを制す、ですね。
 話が逸れてしまいましたが、本当に喉が渇いた時には、水道水でもおいしく感じます。水のおいしさを最も実感できる瞬間です。

2017年7月28日金曜日

コミカルな人

 「なんかおもしろい人だな」と感じる人を観察していると動きがたいへんコミカルなことに気付くのです。発言がおもしろい人というよりも、リアクションがコミカルなので見ていて飽きません。そして何よりも接していて楽しいです。このリアクションや動きのコミカルさは持って生まれたもののような気が致します。反対にリアクションがない人、無愛想な人は面白味に欠けるので身近にそういう人がいると、仲良くなりたいとは思いません。
 では、発言がおもしろい人とそうでない人との差にあるものは何なのかと考えてみると、これはユーモアのセンスです。以前このブログ内でもお書きいたしましたがユーモアのセンスは努力により培うことが可能だと思います。「おもしろいと言われる人になりたい」という人は、努力してユーモア精神を身に付ければ、人生が豊かになると思います。
 また、動きがコミカルで発言もユーモアのセンスが良い場合、これは最高です。身近にそういう人がいる場合は、是非お近づきになりたいですし、人前に立つ職業としてコメディアンかYoutuberのどちらかをお薦めしたくなりますね。

2017年7月27日木曜日

逆転の発想

 よく学校の教室は社会の縮図と言われます。たとえば、学校で多数決があると少ないほうに挙手したことが何だか悪のように感じてしまう瞬間があります。これは社会の中でも同様です。大多数の意見が尊重され、少数派の意見は聞き流される傾向にあるからです。
 そもそも意見というものは様々で、ひとつだけの意見なんてことはないわけです。それではなぜ大多数の意見が尊重されるのかというと、無言の圧力のような同調意識があるからです。「みんなこう考えてるんだから合わせろよ。空気を読めよ」ということです。これを同調圧力と言います。
 はっきりとモノを言えない日本人には同調圧力が効果抜群です。大人になってから職場とかで「みんなに合わせろ」のような雰囲気を味わった方は多いのではないでしょうか。はっきりとモノを言える人でも、孤立のような状態になってしまうケースは多いはずです。それでも同調圧力に屈してはなりません。人間にはいろいろな人種、思想があるわけで、これらを否定することはできません。だから人それぞれに考え方があって良いわけです。
 物事を考える時に、他の人たちはどう考えるか、ではなく自分はどう考えるのかを優先し、自分の正しい判断をする癖を付けると良いと思います。大多数の意見が正しいなんて幻想です。あくまでも自分が正しいと考えるかが重要です。そこから逆転の発想が生まれるのです。

2017年7月26日水曜日

過干渉な人とは

 世の中にはいろいろな人がいます。僕が気になるのは、やたら質問ばかりを繰り返す人です。そういう人に限ってこちらが逆に質問をすると適当な返事が返ってきます。要は他人のことは知りたくて知りたくて仕方ないが自分のことは聞いてくれるな、という自分勝手な人なのです。換言すると他人に対し過干渉な人という感じでしょうか。
 忙しかったり、何かにのめりこんでいる人が他人に対し過干渉になることはありえないと思います。だから過干渉な人はヒマなのでしょうが、こういう過干渉な人に育てられた子どもは可哀想だと同情しまいます。
 過干渉の反対は無関心でしょう。これはこれで冷たい感じがしますが、僕は無関心のほうが現代に合っていると思います。以前、保育系の仕事をしていた時の施設長(男性)の話を思い出しました。その施設長が仕事を終えた帰り道で、その施設に通う女の子と遭遇したので「こんなところで何してるんですか。まっすぐ家に帰りなさい」と注意したところ、たまたまそれを目撃した近隣住民が通報をし、パトカーが来てしまったのでした。後日談として施設長は笑い話にしていましたが、まさか自分の教え子に注意をしただけで通報されるとは思いもしなかったでしょう。ですが、これは現代では当たり前の話で、そこらへんに不審者情報が飛び交っているわけですから、可能性としてありえない話ではありません。それでも、その施設長はその後も、また同じ状況下になったら同じように注意するはずです。
 世の中が、要は無関心な人と過干渉な人とで極端に二分化されている時代なのです。どちらが正しいのかは僕にはわかりませんが、状況状況に応じてバランス感覚が必要になると思います。前述の保育系の仕事をしている時、僕は帰り道でその施設に通う子どもと遭遇しても、子ども側から話しかけてこない限りは、こちらからは絶対に話しかけないようにしていました。通報されたら困るからという意味ではなく、用があれば、子どもは話しかけてくると思いますし、一定の距離感を保ちたかったというのが本音です。けれども、子どものことを本気で心配し、通報されてもこれからも注意し続けるであろうあの施設長の行動を、僕は素晴らしいと思っています。
 よく戸建て住宅のゴミ捨て場の前で片手を頬に当てながら井戸端会議をしている人たちがいます。通りかかる人にやたら質問を投げかけ、子どもたちには「気をつけなさい」とか声をかけている人たちです。こういう過干渉な人は噂好きの暇人なので距離をおいて絶対に近づかないのがベストな選択だと考えます。

2017年7月25日火曜日

写真と実物

 インスタ等の影響からか自撮りという言葉、そして自撮りという行為自体が完全に一般的になりました。僕は自撮りというものを行いませんが、街を歩けば、普通に女の子たちがスマートフォンで自撮りをしています。
 写真というものは、昔、記念写真としての使われ方が存在意義だったと思います(相当昔ね)。現代においても、写真は何かの記念に不可欠ですし、自撮りだって今この瞬間を切り取るために行われているものでしょう(女の子たちは無意識でしょうが)。
 この写真についてなのですが、よく「写真映りが良い、悪い」という問題が生じます。なぜ問題なのかというと、前述の自撮りをする人たちにとって写真映りが悪いことはSNSをやる上で圧倒的に不利だと考えるからです。たとえば、ツイッターのアイコン。当然、かわいいほうが得をすることがたくさんあります。女の子であればDMが殺到しそうです。女の子はその中から、選りすぐりの男を探してLINEをし始めれば、簡単に実際に会うことが可能です。しかし、あまりにも写真映りが良すぎる場合、実物と対面した時に男側が引いてしまうことは明らかです。
 写真映りが良すぎて、実際に本人に会ってガッカリされるよりは、写真映りが悪くても、実物の印象がかわいいほうが良さそうですが、それはもう古くさい考え方なのでしょう。

 

2017年7月24日月曜日

意図的な炎上

 ブログやSNSが炎上することは、珍しい光景ではなくなりました。そして、中には意図的に炎上を行う輩がいるそうです。これを炎上商法と呼ぶのです。なぜ、このようなことを行うのかというと、無名であれば名前を売りたい、有名でももっと注目を浴びたいという欲があるからでしょう。
 この炎上商法に巻き込まれないためには、おそらく無視が一番でしょうが、なかなか無視することが難しい状況もあります。僕自身もこのように炎上商法について書いているわけですから、無視していることになっていません。だいたいブログやSNSはそもそも、自分のことや自分の意見についてを表現する場であり、他人を攻撃したり、誹謗中傷したりする使われ方は王道とは言えないのではないでしょうか。炎上商法により自分の名前を売る、賛同者を求める。これでは、テロ集団が仲間を集める時にSNSを利用する手段と同じになってしまいます。
 最終的に炎上商法で注目を集め続けることは不可能ですし、変なイメージがついてしまうので、長期的にご活躍をされたい方にとっては、避けた方が良い選択肢のひとつだと断言できます。

2017年7月23日日曜日

畳の良さ

 日本の文化は、繊細な技術の上に成り立っているものが多いです。伝統工芸や伝統芸能、日常的に使用するものにおいても日本独自の技術が存分に発揮されています。中でも僕が興味を抱いているのが畳でございます。フローリングに正座すると足が痛くなります。絨毯ならば大丈夫ですが、カビが生えやすいです。ところが畳は正座しても痛くなりませんし、湿気にも強いです。
 そんな畳の歴史は古く、794ウグイス平安京の時代から畳は存在するのです。見当もつかないほど昔から存在する畳ですが、当然、相当な職人の技術が必要とされます。一人前になるのに最低でも10年以上はかかるそうですが、日本の職人にとってそのくらいは普通だと思います。
 とにかく夏は畳に正座でクーラーをつけないで過ごすと背筋がピッとして気持ちが良いです。今後、畳が世界を席巻する日が来るかもしれませんね。

2017年7月22日土曜日

おなかが鳴る

 人間はおなかが鳴ります。漫画であれば「グー」と表現するのでしょう。これは実際に自分のおなかも「グー」と鳴りますから、見事な擬声語だと言えます。最近気になったのですが、おなかがグーと鳴った時に必ずしもおなかが減っていないことがあるのです。一般的にはおなかが空いた時にグーっと鳴るイメージです。身近に子どもがいると、やはり空腹時におなかが鳴るので見ていてかわいいものです。
 話が逸れましたが、おなかが空いていなくてもおなかが鳴るのは、胃腸が収縮する時に、胃の中のものを腸へと送り出そうとするために音が鳴るみたいです。それから胃腸のガスも原因として考えられるそうです。確かに僕は人よりも多くのガスを放出するほうでございます。
 おなかが鳴ることで悩んでいる人は少ないでしょうが、おなかが鳴るのは生きている証し、健康な何よりの証拠ですから、あまり深刻に考えなくても良いのではないでしょうか。

2017年7月21日金曜日

夏はやはり

 ついに関東地方が梅雨明けをしましたね。みなさまのご地域はいかがでしょうか。これで本当に夏本番。体調管理には気をつけたいものです。夏はキャンプにサーフィン、フェス、お祭り、花火大会とイベントが盛りだくさんです。僕はさっそく夏祭りの会場の前を通りかかりました。大いにお祭りを満喫できました。
 さて、夏と言えば百貨店やお店のクーラーが気になってしまいます。僕はクーラーが子どもの頃から苦手なので、なるべくクーラーの風にあたりたくないのですが、電車等に乗ってしまうと他の乗客の皆様との関係上、身動きがとれない場合もあります。特に電車やバスは不思議なもので、たいして熱くもないのに冷房をガンガン入れていたり、逆に猛暑日にほとんどクーラーが効いていなかったりするものです。おそらく運転手の判断なので、運転手の体感気温が謎を解くカギなのではないでしょうか。
 そういえば、この夏の暑さはウン十年前とは雲泥の差だと聞いたことがあります。にもかかわらず、いまだに公立小学校でクーラーがない学校があるそうです。これは子どもを守るためにも早急に対策をとる必要があるでしょう。子どもは大人よりも暑さ、寒さを感じにくいみたいですから。
 とにかく夏は汗をかいて、オーバーオールの中は全裸で夏のイベントを楽しみましょう。

2017年7月20日木曜日

ツンデレボーイズのLINEスタンプ第130弾『マンガでROCKなマッシュくん』販売開始

 こんばんは。ツンデレボーイズのLINEスタンプ第130弾『マンガでROCKなマッシュくん』『Rocking Boy with Comics』の販売を開始しました。ツンデレボーイズの大人気キャラクターである、あのROCKなマッシュくんがマンガになって登場です。マッシュと音楽とマンガ好きな方はどうぞよろしくお願いします。
 今回のスタンプも申請から承認までが非常にスピーディーでした。LINEのスタッフの皆様、いつもありがとうございます。また今までにご購入いただいた皆様、本当にありがとうございます。
 それではツンデレボーイズのLINEスタンプ『マンガでROCKなマッシュくん』はこちらになります☟
https://line.me/S/sticker/1495921

2017年7月19日水曜日

感情を爆発させる名優、藤原竜也

 演技にクセがある俳優と演技にクセがない俳優がいます。藤原竜也さんは間違いなく前者の俳優さんです。舞台、映画、ドラマのすべてにおいて藤原竜也さんは全力の演技を我々に魅せてくれます。こちらの体力が弱っている時にはパワーを持っていかれそうなほど圧倒的な演技です。その圧倒的な演技からか、藤原竜也さんがイケメン俳優である事実を忘れてしまっている人は大勢いると思います。僕自身も似顔絵を描かせてもらっている時に、藤原竜也さんのお顔の美しさに改めて気付かされた次第でございます。
 昨年、演出家の蜷川幸雄さんが亡くなりました。俳優、藤原竜也さんを育てたのは蜷川幸雄さんであり、生前「藤原竜也の感情を爆発させるあの演技にはもう飽きた」と発言していました。これは蜷川幸雄さんなりの叱咤激励であり、藤原竜也にもっと良い俳優になって欲しいという願いがこめられていると思います。
 藤原竜也さんは、15歳でのデビュー作が『身毒丸』の舞台であり、また舞台演出家の蜷川幸雄さんから指導を受けていることもあるため、多少演技がオーバーなところはあるのかもしれません(舞台はテレビ、映画とは異なり会場全体に直接伝える必要があるため)。しかし、それは冒頭の演技にクセのある俳優として大変魅力的であり、たとえば映画『バトル・ロワイアル』などは藤原竜也でなければ、おそらくヒットしなかった作品でしょう。
 結論を申し上げると、僕は感情を爆発させる俳優は絶対に必要だと思うし、藤原竜也以外には真似できない貴重な演技であると言いたいのです。

2017年7月18日火曜日

気にいらないプリントの

 僕はプリントTシャツが好きです。この時期に洋服屋へ行けば膨大な量の中からプリントTシャツを手に入れることができます。ですが、最近気付いたのですが、あまり気にいらない、あるいは購入時は気に入っていたものの、あとから気に入らなくなったというプリントTシャツは、無地のTシャツに負けるってことです。洋服は本人のテンションが表れると思うので、気に入らないものを嫌々着ると、当然似合いません。それどころかプリントTシャツのプリントに失礼です。プリントはデザインです。好き嫌いの好みはありますが、デザイナーは真面目にデザインをしているわけですから、プリントTシャツのプリントはデザインであり、一種の主張であることを頭に入れておくことが必要な気がします。
 嫌々プリントTシャツを着る。それよりは、無地のTシャツを着てしまったほうが主張もありませんし、良い意味でラフな感じが出て良いと思います。だいたいプリントTシャツをおしゃれに着こなしている人は少ないですし、一度着たらタンスの肥やしになってしまう気の毒なケースがほとんどです。
 Tシャツひとつとってもおしゃれは難しいものだと考えさせられます。薄着になる夏だからこそ、ファッションのセンスが問われるのだと思います。

2017年7月17日月曜日

セクシーの使い方

 以前、少し気になる女性がいつもとは異なる大人っぽいファンションだったので「セクシーですね」と言ったところ、吹き出された経験がございます。これは以下のような理由からだと推測できます。

①あなたに褒められても嬉しくないから
②セクシーの意味がよくわからないから
③言いそうもないキャラの人がセクシーと言ったから

 ①・③は僕自身に原因があるのですが、もしも②であったならば、僕自身もよくセクシーの意味を理解せずにセクシーという言葉をチョイスしているので、問題があると感じました。僕は冒頭にも記したように、いつもはカジュアルな服装の女性が大人の雰囲気を醸し出す服装だったために思わず、セクシーという表現を使いました。ですが、世間一般ではセクシーという言葉のイメージは薄着とか水着とか露出度の高い、いわゆるセクシー女優のセクシーを連想するようです。であるならば、突然他人から「セクシーですね」と言われても困るわけで、セクシーという単語を使ってしまった自分を恥じてしまうしかありません。
 それでも、僕は今後セクシーという単語を使い続けるでしょう。ただし、使い方には注意するつもりです。

2017年7月16日日曜日

欲求の果て

 人間には欲望、欲求があります。それをコントロールするのが理性であり、この理性がなければ人間は動物と同じ存在になってしまいます。とはいえ、欲求をコントロールすることは大変難しく、たとえば、朝「あと10分だけ眠ろう」と寝てしまう事は睡眠欲求をコントロールできていない証しですし、このようなことはよくあることではないでしょうか。
 別のケースで考えてみると、暴飲暴食をし続け、食べたいもの、飲みたいものを飲食し続けることは当然、肥満をもたらします。これは理性で食欲を抑えられていないから起こる問題であり、肥満は現代病と言い換えても良い身近な問題なのです。僕自身もダイエット以前は食欲をコントロールできていなかったから太ってしまったわけであり「これ以上はもう食べない」と決断できれば、太ることはありえないのです(これが難しい)。
 あの有名なマズローの5段階欲求は非常におもしろいものです。果たして全世界の人間うち、どれだけの人が最上階の自己実現欲求にまでたどりついているのでしょうか。おそらく大半の人が生理的欲求すらコントロールできていないはずです。
 とにかく、誰もが欲望、欲求の赴くままに行動する世界はきっとおそろしい世界なのだろうという結論です。

2017年7月15日土曜日

子どもの凄い所

 最近ネットでおもしろい記事を拝見しました。それは子どものほうが満腹感を感じやすく、腹八分目で食事をやめることができるという内容でした。確かに身近にいる子どもを見ていると大好物のアイスクリームを途中で平気で残したりします。これは大人からすると「もったいない」という感覚になるため、ついつい腹八分目以上を食べてしまいます。これが肥満をもたらす原因なのです。
 ダイエット開始以前の僕も、腹八分目の感覚がわからなかったので、必要以上に食べ過ぎてしまい、それが原因で少しづつ少しづつ太ってしまったのだと自己分析しております。
 それではなぜ大人になると必要以上に食べ過ぎてしまうのかというと、食事を残すことに対する罪悪感のようなものが心のどこかにあるからではないでしょうか。僕も子どもの頃、ご飯粒を一粒でも残したら、親に怒られた記憶があります。また学校給食も今の時代とは異なり、残すと昼休みをもらえず、居残り給食をさせられていました。僕はシイタケがどうしても食べれず、居残り給食となり、先生が見ていない時に廊下に捨てたらバレてしまい、こっぴどく怒られました(そりゃバレる)。非常に苦い思い出であり、僕はそのトラウマからか、今でもシイタケが食べれないのです。
 要は、日本は戦争時代があり「贅沢は敵だ」のスローガンを経て今日へと続いているので、どうしても食べ物を粗末にすることは許されない風潮があるとおもいます。とはいえ、腹八分目以上を食べることは確実に将来、肥満体型になり健康を害してしまいます。早い段階から努力して腹八分目の感覚を身に付けることが重要な課題です。
 それにしても無意識のうちに腹八分目で飲食をやめれる子どもは凄いなと実感させられます。

2017年7月14日金曜日

Snapmart[スナップマート]で編集部セレクションに選定され嬉しかった話

 今日の朝、スマートフォンのお気に入りアプリ、スナップマートを開いてみたら、自分の作品が編集部セレクションにピックアップされており、嬉しくなりました。ピックアップの通知がないところが逆におしゃれだと感じました。編集部セレクションに選定された僕の写真ですが、公園の初夏をテーマに撮影をしたものです。そして、加工はスナップマートの中でおすすめとされていたSnapseedというものを使用致しております。
 スナップマートをご存知ない方はあまりいないとは思うのですが、スマートフォンで撮った写真が販売できる革新的なアプリなのです。僕は今年の春から、このスナップマートにハマっていますが、改めて写真は難しいと感じます。スナップマートやインスタグラムでも言えることですが、狙って撮った写真がうまく撮れていなかったり、偶然やひらめきで撮ってみたものが他者からの評価を頂く場合があるのです。だからこそ、写真はおもしろいわけです。
 今回、編集部セレクションに選定されたことで、今までよりも深く他の方の写真を拝見し、勉強になることがたくさんありました。たとえば、僕はインスタグラムの正方形に慣れているため、スナップマートの販売用のお写真も正方形を使用しているのですが、何も正方形にこだわる必要はないということ、それから写真はやはり自由な発想で撮り、自分自身が楽しむことが必要であるということです。
 編集部セレクションに5回選定されるとメダルがもらえるので、レベルアップへの目標がひとつ増えました。そして、自分の写真をチェックしている人がいてくれるのだと考えると、やる気がこみ上げてきました。とにかく自由な遊び心をこれからも忘れずに、このアプリを楽しみたいと思います。編集部のみなさま、この度はありがとうございました。

※ツンデレボーイズのスナップマートはこちらになります☟
https://snapmart.jp/portfolios/tundereboyz




2017年7月13日木曜日

コスパを実感するには

 百聞は一見に如かず。これは人からいくら聞いたところで自分が経験、実感しないことには真実はわからないという素晴らしいことわざです。
 通販サイトを拝見していると、レビューというお客様からの商品に対する感想が書かれています。いろいろな意見がございますので、このレビューを参考にするお客様は多いと思います。そしてレビューにコスパというキーワードが多いことに気付かされます。コスパはコストパフォーマンスの略であり、価格が安く、その価格よりもはるかに充実した商品だったと満足できればできるほど、コスパが高いということになります。逆にそこそこの価格で購入した商品がいまいちの満足度だった場合、コスパが低かったとなるのです。
 勘の良い人ならわかると思うのですが、コスパの高い商品などほとんど存在しません。価格には相場があり、あまりにもコストを抑えてしまうと損をするのは生産者側です。よって、それ相応の適正価格になるのです。僕自身の実感としては価格が高い商品でハズレのものは今までに皆無でした。反対に、価格が安すぎて失敗したことはいくらでもあります。そこから学習できたのは実感をしたからです。ただ、稀にコスパが高いものも存在します。だからといって、他のお客様も同様の意見を述べるとは限りません。
 つまりコスパを実感するには、レビューではなく自らが購入してみないことには何もわからないということです。

2017年7月12日水曜日

発想の出どころ

 素晴らしいアイデア、ネタ、文章、アート、音楽に触れた時に、僕は「ああ~良い発想してるな」と思います。思い付きは天性のものでしょうが、あまりにも良い発想をする人を見ると、どのような頭の構造をしているのか知りたくなってしまいます。人間が生まれてから最初に発想の豊かさを発揮するのは絵ではないでしょうか。子どもは人の目を気にしないので自由な発想で絵を描きます。結果、素晴らしいものが誕生するのです。しかし、時間が経つにつれ人の目を気にするようになります。そして周りの人に「何それ?」と指摘された時に、自由な発想は損なわれ普通の絵しか描かなく、いや描けなくなってしまうのです。
 発想は、前述のように自由でなければならないでしょう。そして自由に表現することは本当に難しいものであり、おそらく何万人に数人の確率で、自由な発想を持ち続けている人だけが、良い発想を発揮することができるのです。

2017年7月11日火曜日

セミについて

 毎日毎日、本当に暑いですね。これでまだ梅雨が明けてないのですから、梅雨明け後が恐ろしいです。さて、夏の風物詩のひとつにセミが挙げられると思います。子どもの頃、学校でセミは何年も土の中で過ごし、地上に出てから7日、すなわち1週間しか生きないと学習した記憶があります。大人になって調べてみたところ実際のセミは2・3週間は生きることができるみたいです。それから、なぜセミはそんなにも寿命が短いのかというと、セミは数が多いので交尾の確率が高く、子孫を残しやすいので何年も生きる必要はないようなのです。確かに夏場のセミの多さは尋常ではありませんから。
 セミについて、記していたらセミの種類に関して調べたくなってしまいました。セミは、ミンミンゼミ、アブラゼミ、クマゼミ、ツクツクボウシ(ここらへんは僕も名前を知っていました)、さらにニイニイゼミ、エゾゼミ、エゾハルゼミ、ヒグラシ、チッチゼミといった名称のセミも存在すると知りました。
 これから夏本番。セミの鳴き声を煩わしいと感じずに「このセミの鳴き声は何だろう」と考えながら夏を過ごすと、少しは猛暑から解放されるかもしれません。
 みなさま、くれぐれも熱中症にはお気をつけください。

 

2017年7月10日月曜日

音楽とアートと映画

 音楽、映画、アート、これらは切っても切り離せないものです。ある人にとっては、ただのサブカルチャーかもしれませんが、必要な人にとってはなくてはならない大切な文化です。
 音楽、映画、アートがすべて密接な関係である理由は、たとえば、映画であればその中に映画音楽が流れます。それから音楽CDのジャケットにはイラスト、グラフィックデザイン等のアート作品が使われることも多いです。特に音楽とアートは切り離せないものでしょう。海外では、そこにドラッグの匂いがつきまといます。その意味で、一般の方の感性を超えたところにあるのではないでしょうか。いわゆる「ブッ飛んでいる」ものが作品として素晴らしいのです。
 日本の秋葉原はアニメの聖地ですが、アニメはアートの範疇です。その意味で秋葉原のアートは世界に誇れるものですし、はじめて秋葉原を訪れた人がフラフラ歩いていると外国人観光客が多いことに驚くはずです。秋葉原から音楽や映画の匂いは感じられませんが、アニメにはアニソン、アニメの映画も存在するので、僕が知らないだけで密接な関係が存在していることは明らかです。
 音楽、アート、映画等の文化が早くサブカルチャーなどと揶揄されない日が来ることを僕は心待ちにしています。

2017年7月9日日曜日

ツンデレボーイズのLINEスタンプ第129弾『動く落武者ボーイズ』販売開始

 こんばんは。ツンデレボーイズのLINEスタンプ第129弾『動く落武者ボーイズ』『Moving otimushaboyz』の販売を開始しました。あのかわいくてセクシーで超絶イケメンの落武者がついに、ついに、な・な・なんとアニメーションスタンプになって登場です。どうぞよろしくお願いします。
 今回のスタンプも申請から承認までが非常にスピーディーでした。LINEのスタッフの皆様、いつもありがとうございます。また、今までにご購入いただいた皆様、本当にありがとうございます。
 それではツンデレボーイズのLINEスタンプ『動く落武者ボーイズ』はこちらになります☟
https://line.me/S/sticker/1483324

2017年7月8日土曜日

元気が

 人間は体調が悪いと、歩くときも伏し目がちになり自ずと元気がなくなってしまいます。せっかく空が青くても綺麗な花が咲いていても、心のフィルターに何も通らないと生きる活力が湧いてきません。
 体育会系の人は非常に元気があります。それが空元気でもはたから見ると元気な人に見えます。実際に接する場合も、元気がある人とない人のどちらと顔を合わせたいかと問われたなら元気な人を選択するにちがいありません。
 元気が出ない時には、自分が好きなことをしてみると良いと思います。音楽が好きな人はお気に入りのアーティストのライブに行ってみるとか、映画が好きな人は映画館まで足を運んでみるとかです。だいたい元気がない時は体調が悪い時、悩み事がある時、自己肯定ができない時などです。全く好きなことに触れていないではありませんか。
 中でも体調が悪いという原因が元気が出ない最大の原因だと思います。やはり体が資本ですし、体が健康であると、精神的にも元気が出ます。思い切って好きなことをして元気を出しましょう。元気があることは素晴らしいことです。

2017年7月7日金曜日

アナログの良さ

 スマートフォンで音楽を聴いていると音量が気になったりします。当然、調整をするのですが、どうしてもスマートフォンの横のボタンを押してしまう癖があります。すると、音量を調節するときに、1つ音量を上げると、音が大きすぎる。また1つ音量を下げると音が小さすぎるという現象にたどり着きます。つまり、デジタルなので、その中間に調整をすることができないのです。スマートフォンの画面を開けば、指で調整が可能ですが、なんというか面倒くさいのです。
 これは車のパワーウィンドウにも言えることです。押しすぎると開きすぎてしまい、引きすぎると閉じすぎてしまうので「おいおい」となるのです。昔の手動で窓を開けるアナログ方式なら、自分の手で正確にコントロールできたのに、文明の利器が人間にストレスを与えているとは皮肉な事実です。
 先日、日本のSONYがアナログレコードの本格的な生産を開始するというニュースがありました。これは良い流れだと思います。デジタルで勝負していってもApple製品にはかなわないでしょう。だからこその、原点回帰といいますか、アナログを大切にする日本のファン向けにしっかりした技術を兼ね備えたSONYが対応していくことに、感動致しました。
 アナログの良さは無機質ではない、ぬくもりを感じられるところにあると思います。

2017年7月6日木曜日

アート作品の不思議

 ある人にとっては芸術作品であっても、またある人にとってはただのガラクタかもしれないもの。それこそがアート作品なのだと思います。そもそも好みは一貫しているものではないので、すべての人間に受け入れられるアート作品など存在するはずがありません。
 「あのアーティストの作品が好きだ」の鑑賞者の意見はどこからくるのかを考えると、確実に理屈ではなく感覚的なものに左右されているに違いありません。よってこの不思議な現象は口で説明することは不可能です。
 では逆にアート作品を産み出すアーティストは理屈と感覚のどちらで制作をしているのかについてです。これは両方なのだと思います。感覚だけで作品を制作しているなら、それはプロではありません。きちんと頭で考えてから、感覚と技術で制作をしていくのです。過去の著名なアーティストの名作を見れば一目瞭然で、多くの作り直しを経ていることが明らかです。適当な感覚で制作していないことの証明であります。

2017年7月5日水曜日

毎日の意味

 某ファーストフード店のポテトはとてもおいしいです。子どもの頃から食べ慣れた味のためか、大人になっても飽きずに頂くことができます。そんな某ファーストフード店は、たまにポテト全サイズ150円というキャンペーンを行います。これは誰でも大きいサイズを注文するでしょうが、毎日毎日そこのポテトを食していると当然、おいしさに対する感動は薄れてしまいます。それどころか、激太りしてしまうかもしれません。
 毎日毎日、大好物を食べること、毎日毎日、腹筋トレーニングをすること、これらの意味合いは全然違うと思います。前者はおいしく欲を満たすことができますが、後者はやらなければならない、日課にしたいという義務感が働くものなのです。
 毎日の習慣は、やる気がないと習慣になりません。おそらく好きなこと、楽しいことはたまにするから快楽を得られるのであって、毎日やるものではないと思います。日々の体調管理に気を使っている人にとっては、たまに行われるポテト全品150円のキャンペーンは利用する価値があるのではないでしょうか。

2017年7月4日火曜日

お礼の伝え方

 お中元の季節ですね。お中元の意味合いは、お世話になっている人への感謝を贈り物で伝える習慣です。お中元を頂くとありがたい気持ちが芽生えますし、当然、頂いたらお返しが必要になります。
 近年はコミュニケーションの手段が変化し、LINEなどですべてを終わらせてしまえる世の中です。これはこれで時代の流れです。それでも古くからの慣習であるお中元などはお礼の伝え方の手段のひとつとして、大切なものです。面倒くさいと考える人も多いでしょうし、一体何を送ればよいのだろうと悩む人もいるでしょう。確かにメールやLINEで育った若者が、お中元、お歳暮の文化を継承していくとは、とても思えません。だからといって、人に対する感謝の気持ちを表すことは、これからも無くなることはないわけです。
 一番、魅力的なお礼の伝え方は面と向かって「いつもありがとうございます」と言うことです。ですが、これが恥ずかしくてなかなかできないのが日本人の謙虚さ、そう換言することができるのです。

2017年7月3日月曜日

アプリの利用規約が

 最近、学習したことです。スマートフォンが普及し、おのおのがお気に入りのアプリを活用していると思われます。僕自身もそのひとりです。そうすると、どうしても自分がアプリを動かしているような錯覚に陥ります。ですが、アプリはその開発者や、企業が中心です。彼らが利用者を誘導しているのです。当然、開発者、企業側に不利益と判断すれば利用規約が改定されます。中には「え~」と実際に声を出してしまうほどめちゃくちゃな利用規約の改定だったりしますが、嫌なら使うのをやめるしか選択肢はありません。ですが、使い慣れたお気に入りアプリをそう簡単にアンインストールできるはずはありません。開発者、企業側はそのことを承知の上で利用規約の改定に踏み切っているのです。
 たとえば、今まで無料で利用できたアプリが、定期的に行われるアップデートをしたら、無料で使えていた機能が課金しないと使えなくなったということはよくあります。「ほとんど詐欺じゃないか(怒)」と言ったところで時すでに遅し。
 とにかくスマートフォンは体の一部ではなく生活のツールであること、あまりスマホやアプリにのめりこまないことが重要です。絶対になくなったら困るものにしてはいけませんね。

2017年7月2日日曜日

職業病

 先日、わたくしのブログでプロ棋士の藤井聡太四段についてお書きしました。その後もネットや新聞、テレビ等で藤井聡太さんの特集やピックアップは続いています。日本全体が注目している証しであります。
 さて、そんなプロ棋士についてなのですが、中には車の運転をしないプロ棋士も存在するようなのです。理由は起きている時はずっと将棋のことばかりを考えてしまい、車の運転に集中できないからだそうです。別のプロ棋士は街中の四角が盤面の四角に見えてしまうそうです。これらは完全に職業病と断言していいでしょう 
 一般的には、仕事は仕事の時間だけスイッチを入れ、仕事以外はそのスイッチをオフにするものです。ところがトップのプロ棋士になると、オンオフなく常に仕事のこと、将棋のことを考え、研究をしてしまう。逆に言えば、そのくらいでなければプロにはなれないのです。
 個人的には僕は以前、白い車を見かけると、絵を描いてしまいたくなる衝動にかられたことがありました。これは職業病というよりは犯罪行為になってしまいますので、衝動を抑える理性があって良かったと思っております。

2017年7月1日土曜日

興味のあるなし

 子どもは大人に質問を連発します。それはその子が興味を抱いている関心事について疑問があるときに、質問をするのでしょう。人間は大人になると、いろいろなことに興味を失います。特定の分野について興味を持つことはあるのでしょうが、広い分野の興味がなくなります。興味がなくなると、自分で調べたり勉強したりすることがなくなるので、知識は増えません。
 その意味で学校教育の必要性は、いろいろなことを勉強することで興味の幅を広げ自分の道を見つけやすくする意味で有意義だと思いますが、実際には受験のための勉強が第一の目的なのでしょう。
 僕はいろいろなことに興味を抱くことがすごいと言っているわけではありません。逆に特定の分野のこと以外は何もわからないような職人的な人間に憧れます。かといって、社会全体がそのような職人だらけになると、偏りが出てきてしまうでしょう。要は適材適所ということです。興味のあるなしも十人十色なのです。
 空はなぜ青いのか。身近な子どもにそう質問され、明確に解答できる大人は果たしてどのくらいいるのでしょうか。