2017年5月31日水曜日

ツンデレボーイズのLINEスタンプ第125弾『動くいたずら小僧ショウタ』販売開始

 こんばんは。ツンデレボーイズのLINEスタンプ第125弾『動くいたずら小僧ショウタ』『Moving Powerful Syouta』の販売を開始しました。ついにアニメーションスタンプに初チャレンジです。難しい印象があったのでアニメーションスタンプは手を出さずにいました。しかし「がんばってやってみよう」と思い立ち、今回のスタンプ制作に至りました。動くショウタをどうぞよろしくお願いします。
 1度リジェクトがあったのでスムーズではありませんでしたが、無事承認されました。LINEのスタッフの皆様、いつもありがとうございます。また、今までにご購入いただいた皆様、本当にありがとうございます。
 それではツンデレボーイズのLINEスタンプ『動くいたずら小僧ショウタ』はこちらになります☟
http://line.me/S/sticker/1448592

2017年5月30日火曜日

ボディーシャンプーで

 お風呂の湯船に浸かっていると眠くなることがあります。ついついウトウトしてしまうのです。さあ、目を覚まそうと思い髪の毛を洗いました。洗っている途中にあまり泡立たないので変だなと感じたら何とボディーシャンプーでした。完全に失敗です。眠かったので、洗いなおさずにそのまま出ました。翌日気がついたのですが、髪が適度にパサついていて自分のクセとマッチしてとても感じが良いのです。
 そもそも髪の毛をシャンプーで洗うことが必要なのかどうかは議論の分かれ目です。お湯のみでシャンプーを使わない人もいるみたいです。特に頭皮が乾燥している人にとってはシャンプーが頭皮の余分な脂を吸い取ってしまい、余計にかゆくなることがあるからです。
 いつもボディーシャンプーで髪を洗うことは髪の毛にとって不健康そうですが、たまにはおもしろいのかもしれません。どのような感じになるのか興味のある方はぜひやってみてください。

2017年5月29日月曜日

言い訳を言う時

 学生の頃に教授Aが話していたことが、おもしろくてたまに思い出すことがあります。ゼミ生がその教授Aとは違う教授Bに大変な失礼をしたそうです。教授Aはゼミ生に「謝りに行きなさい」と指示をしたそうです。すると、そのゼミ生は謝りに行ったのに教授Bが不在だったという理由から置手紙をし、その手紙の中で謝ったというものでした。これは単純におもしろい話だけではなく人間の心理を表していて興味深いです。
 そのゼミ生が本当に謝りたいのならば、事前にアポを取り謝りに行くことが礼儀だと思うのです。ですが、そのゼミ生は教授Bが不在だからと置手紙をしたのです。これはわざと教授Bが不在の時間に訪れたのではないかと疑われてしまいかねない行動です。なぜわざと不在の時間を狙ったのかというと、単に教授Bに会いたくなかったからです。
 ゼミ生は「とにかく手紙で謝ったんだからいいじゃないですか」と言い訳をするでしょう。そう、言い訳というものは自分が嫌な時や立場が悪くなった時に使う非常に便利なものなのです。

2017年5月28日日曜日

固定電話という言葉

 昔の電話と聞くと黒電話を想起する人は多いのではないでしょうか。あのレトロで怪しく黒光りしている電話はもはやアンティーク雑貨としては成立しても、今も使用し続けているご家庭は少ないと思います。結果的に家の電話は固定電話と呼ばれるようになりました。おそらく携帯電話、スマートフォンの普及率が高まったためであり、家の固定電話すら持たない世帯も急増しているはずです。
 新聞も同様であり「スマホで見るから紙のほうはいいや」という流れです。だいたい新聞はたまるとかさばります。重宝しているのは新聞の切り抜きをスクラップする高尚なご趣味をお持ちな人くらいでしょう。新聞は現在の情報を伝える紙であり、現在が過ぎ去った後、その価値はなくなってしまうのです。
 本当に時代は流れていきます。過去に当たり前だったものが、当たり前でなくなり文明は進化を続けていくのです。固定電話という言葉自体も聞かなくなくなる日が来るのかもしれません。

2017年5月27日土曜日

集中力を使う

 僕は絵を描いていて、気が付いたら長時間座りっぱなしだったなんてことはざらです。これは紛れもなく集中力を発揮できている結果です。人間は集中できないと時計を気にし、空想にふけってしまいます。学生時代の僕は勉強が苦手でしたから、窓の外を眺めたり、教科書に落書きをしてばかりでした(教科書は落書きだらけで真っ黒)。つまり、授業に勉強に全く集中していなかったのです。 
 さて、その集中力ですが、集中力は体内のかなりのエネルギー消費を促すと言えるのではないでしょうか。長時間絵を描き続け、作業を終えた時、まるでマラソンを終えた後のような疲労感に襲われます。ほとんど作業場から動いていないのに疲労するということはエネルギーが消費されている証しです。
 部活を引退した受験生が運動をしなくなったのに太らない事実には集中力を使っていることに謎を解くカギがありそうです。

2017年5月26日金曜日

雨に打たれること

 屋根のない会場でプロスポーツの試合が行われる場合、天候によっては雨であっても試合が行われることがあります。すると、選手は雨の中でのプレーを強いられるわけです。プロ野球などはその典型例で少しくらいの雨では試合が中止になりませんし、中には雨の方が調子が良い選手も存在するそうです。
 僕は子どもの頃、雨の中でも傘をささずに遊んだ記憶があります。しかし、小学校高学年くらいから雨には有害物質が含まれているということで、学校の先生や周りの大人たちに「傘をさしましょう」と促され、暗黙の了解のように傘をさすようになりました。それから準備万端な僕はカバンには必ず折りたたみ傘を持参しているので雨に打たれることは無くなりました。
 たまに雨に濡れたまま自転車を乗っていたりバイクに乗っている人を目撃すると、幼少期の雨に打たれる感覚が蘇ってきたりします。最初は濡れるのが嫌なのですが、途中から開き直ってしまうと気持ちが良くなってくるのが雨にずぶ濡れになるということなのだと。
 もうそろそろ傘をさす機会が増しそうですね。

2017年5月25日木曜日

歌手の歌い方

 カバー曲とかが当然のことのようになりました。よって歌手は別の歌手の持ち歌を歌うわけです。そんな時に歌われた曲の歌手のファンは「なんかちょっと違うぞ」と感じます。それもそのはず、別の歌手が歌っているからです。それではなぜ違和感を感じるのかと考えると、やはり歌い方だと思います。ビブラートがキツイ、勝手にアレンジしちゃってる、フェイクがしらじらしいとかです。それは、その歌手の持ち味なのかもしれないので一概に否定をするわけではありませんが、あまりにも原曲からかけ離れたアレンジをして歌っているのを目撃すると、ふざけているのかと疑ってしまう自分がいたりします。
 世の中に歌手が存在する限り、その歌手のファンも存在するわけです。そのファンの人たちに失礼のないような歌い方をしてほしいと思いますし、極端に言えば、クセのないサラッとした歌い方をする歌手にだけ、カバー曲を歌ったりリリースする権利があると思うのは私だけでしょうか。

2017年5月24日水曜日

意外に評価されていない明石家さんまの凄い所

 当たり前のようにテレビに出続けている人がいます。それはまちがいなく第一線を走り続けている証拠であり、そんな人は失われてはじめてその価値に気付かされるのかもしれません。2014年の3月に『笑っていいとも』が終了しました。いいともが終了してもタモリさんの評価は上がる一方であり、むしろ終了になって困っているのはフジテレビなのではないかと思うほどです。僕はタモリさんやビートたけしさんをテレビで見るたびに、BIG3の中で最も評価されていない明石家さんまさんのことを思い出してしまうのです。
 そもそもお笑いBIG3の中で本当にお笑い、テレビの世界だけで勝負しているのは、明石家さんまさんでしょう。その下の世代の人たちはお笑い以外にいろいろやっているようにお見受けします。冒頭に記したように明石家さんまさんはデビューしてすぐに売れてから、約40年毎日にようにテレビに出続けている印象があります。明石家さんまさんの何が優れているのかというと、トーク力だと思います。頭の回転が極めて速く、ボケたり突っ込んだりをひとりででき、あの有名な引き笑いも誘い笑いとして見事に成立させています。今は引退してしまった島田紳助さんと同期であり、島田紳助さんからのコンビの誘いを断っていることは有名な話です。ピン芸人という言葉も明石家さんまさんがいなければ無かったかもしれない言葉です。
 テレビを観ていてタレントさんには私生活のイメージがつきまとうことが普通です。しかし明石家さんまさんの私生活は謎だらけです。何をしているのか、どんな格好をしているのか等が全くイメージできません。いろいろな噂がありますので女性にはおモテになるのでしょうが、風貌が変わらないこと、全然老けないところも注目すべき点です。
 僕が最も明石家さんまさんを凄いと感じるのは「芸人はヤクザと関わる必要は無い」という考えを持っていることです。これは暴力団との交際を理由に芸能界を引退した島田紳助さんとは正反対であり、世の中の流れを早い段階から察知していた所が、常識人を表していると思うのです。
 明石家さんまさんにはこれからもテレビに出続けていただき、お茶の間を明るくしてほしいです。

2017年5月23日火曜日

スマホから鳴る音

 街中を歩いている時に、ポロンとあの有名なLINEの通知音がしました。僕はスマホを確認しましたが誰からの通知もなく、どうやらすれ違った人のスマホの通知音のようでした。このようにスマホからは色々な通知音がします。もちろん厳粛な場では誰もがスマートフォンをマナーモードにするか、電源を切りますが、街中や電車の中は別問題です。
 スマホが普及してからアプリが増えました。そしてアプリは人それぞれカスタマイズできるので、皆同じアプリを使用しているとは限りません。アプリはスマートフォンに情報を通知するかどうかを選択できます。そこで必要な情報を通知して欲しい場合は、その人のスマホの通知音は増えるわけです。必然的にどうしても鳴る回数は増えてしまいます。
 音というものは気にならない人は全く気にならないと思いますが、スマホから鳴る通知音を気にかけて聞いてみると非常におもしろいと感じました。
 多くの人を集めてスマートフォン以外の音を立てないようにしたらピコピコあちこちから鳴り響いて楽しいのではないかと思うのです。

2017年5月22日月曜日

社会の中心は

 ほとんどの人が普通自動車免許を18歳で取得します(僕はその年頃に取りませんでしたが)。その人々がここから車を運転し始めるので、自然と車社会だと勘違いしてしまう事があります。僕自身も車を運転していると、突然飛び出してきた人に対し「危ない」と独り言をつぶやいてしまう瞬間があります。ここで考える勘違いとは社会の中心は車であるという間違いです。日本の産業を支えてきた車は、もはやなくてはならない存在です。しかし、車はあくまでもツールであってモノにすぎないのです。そのモノを生産しているのは人間、ヒトであります。
 どうしてもこれだけ車が当たり前のように普及してしまうと、車目線で物事を考えてしまうのですが、前述の飛び出してくる人の問題も、僕自身が車目線になってしまっていることが問題なのです。車を運転している時に、誰かが飛び出してくるかもしれない、自転車が車道にはみ出し走行しているかもしれない、これらは想定できることです。すべての人間がマナーを守る社会ではなく、マナーを守らない人々が必ず存在することも頭に置いて生活をしなければなりません。突然飛び出してくる人を車でひいてしまい最悪の惨事になってしまっても悪いのは車であり、責任は運転手にあるのですから。
 社会の中心にいるのはヒトであり、モノではないということ。そのことを人間が絶対に忘れてはならないと思うのです。

2017年5月21日日曜日

制服の存在理由

 学生の頃、細かく分けると中学も高校も僕は制服がブレザーでした。学ランに憧れていましたが、縁がなく着ることができませんでした。学生の頃は気付きませんでしたが、日本は学校の制服以外にも仕事における制服がたくさん存在します。なぜ制服は必要なのかが本日のテーマになります。
 以前、このブログの中で学校のジャージのデザイン性が皆無なのはなぜなのかとお書きしたことがあります。結論はそちらのほうをご覧いただきたいのですが、学校の制服のデザインも昔から全く進化していないことは確かです。これはやはり制服を着て学校へ行くことが当たり前、制服を着て勤務することが当たり前と思いこんでいるため、誰もそのことに対して疑問に思わないことが根底にあると考えられます。だからといって、疑問に感じたことをそのままにしていては人間的な成長はありません。
 制服を必要とする理由は、日本社会特有の規律を乱さないためのアイテム、それが制服なのではないかと僕は分析しています。見た目という個性を排除し、とりあえず画一的な制服を着させていれば、学生、社員は反発をしないだろう、とにかくお上に逆らうな、という暗黙のメッセージのようなものが感じ取れます。しかし、社会人の場合、例えば駅員さんのようなお仕事をされている人には制服は必要な気がします。理由はお客様との線引きが必要だからです。乗客が困った時に一発で視覚的に駅員を探さなければならない時に制服を着ていないと駅員さんを発見するのに時間がかかってしまいます。病院も同様で患者が全員白衣を着ていたら誰が医者なのかがすぐにはわからず混乱が生じてしまいます。
 その意味で制服は必要ですが、制服とユニフォームでニュアンスが異なります。制服は着させられている感じ、ユニフォームは前述のように世の中のためになるような統一された服装という感じでしょうか。
 学校の制服がない、私服で登校しても良い学校が実際に存在します。そんな学校に限って極めて偏差値が高いのです。これは勉強のできる学生は自己管理能力が高いので、制服を着させて締め付けを行わなくても大丈夫だという何よりの証明です。
 僕は、学校に制服が必要ないと言っているわけではなく、あくまでもなぜ制服が必要なのだろうかという疑問を抱いているにすぎません。現実的に学校から制服が廃止されたら、学生は「明日何を着ていこう」と悩むでしょうし、何を着ていくかを考える時間が積み重なると相当な時間になります。そんな時間があるならば将来のための勉強に費やした方が学生のためになるとも思います。
 要は、日本は偏差値教育なので、勉強のできる学生には制服は必要ないがそれ以外の大半の学生の方たちには制服を着てもらい、締め付けを行わないと収拾がつかなくなり、やがては社会の乱れにつながりかねないので、とりあえず制服を必要とする。このような適当な理由なのではないかと僕は結論付けます。

『学校のジャージのデザインが古臭い理由』 ☟
http://tundereboyz.blogspot.jp/2016/07/blog-post_27.html

2017年5月20日土曜日

油断していると

 整理整頓や掃除を習慣にするようになって感じたことがあります。たとえば、毎日トイレ掃除をしていると、ほとんど汚れが目立ちませんので「掃除をした~」という感覚にならないのです。廊下や部屋も同様で、毎日掃除をしているとまとまったホコリが目に見えないので綺麗になったという達成感は薄いものになってしまいます。
 とはいえ、用事が続いて掃除を怠ると「あれっ何でこんなところに?」という部分から大きめのホコリが出てきしまい慌てることもあります。そもそも掃除は家や部屋を清潔に保つことで健康を害さないようにすること、精神衛生を健やかにすることが目的だと思います。よって掃除をしている実感がわかなくてもなるべく毎日掃除をすべきだと結論付けます。
 油断しているとホコリが集まって悪事をやらかすかもしれないので、気をつける必要がありそうです。

2017年5月19日金曜日

暑いんだか涼しいんだか

 過ごしやすい気候と言えばそれまでですが、何だか暑いのか寒いのかわからない微妙な感覚になることがあります。とりあえずTシャツを着てみて「あっまだ涼しい」とつぶやいてカーディガンを羽織る、そのような感じです。
 そもそも人間の体温は人それぞれなので平均体温、平均値でしか普通を測ることができないのです。よって、この微妙な気候にTシャツを着るのも、カーディガンを羽織るのもどちらも正解と言えば正解です。夏が好きな人は早く夏を求めるのでしょうし、冬が好きな人はこれから夏と秋の経過を待たなければなりません。
 夏も冬も好きではない人にとっては、暑いんだか涼しいんだかわからないこの時期が非常に過ごしやすい季節なので羨ましいです。みなさまくれぐれもご体調にはお気をつけください。

2017年5月18日木曜日

岡本太郎「キャンバスからはみ出せ」の捉えかた

 稀代の芸術家、岡本太郎の名言に「キャンバスからはみ出せ」があります。この言葉をどう捉えるかは人それぞれですが、わかるようで何だかわからない言葉でもあります。たとえば、これは単純にキャンバスの中に絵を小さく描くな、はみ出してもいいから大きく描きなさいというアドバイスなのか、あるいは、生き方としてキャンバスだけにとどまるような人間になるな、なのか、またそのどちらもなのか、が人それぞれ解釈の自由がある言葉だからです。
 まあ、哲学的な言葉ですから捉え方が様々ですが、真意が知りたいと考えるのは自然の流れです。僕個人としては、四角いキャンバスにこだわらずにもっと広い視野で絵を描く感覚は捉えたことがあります。しかし、生き方としてキャンバスからはみ出す生涯を送る感覚は正直わかりません。これは芸術家とか職業画家とかではなく人間としてどうかの問題であると思うのです。岡本太郎はゴッホについて著書で「彼はひたすら人間であった」と記しています。つまり、絵を描くことだけをしている人はただの職業画家であり、精神的な苦悩を抱えていないのです。その意味でゴッホは自殺してしまうまで大変な精神の格闘をし続けました。芸術家は苦悩し、より人間的に生きるから芸術家なのだと言いたかったのだと思います。
 そう考えるとやはり「キャンバスからはみ出せ」発言の真意は、一見目の前のキャンバスに絵を描いて見せる時に絵画講師が「さあ、キャンバスなんて関係ないので、自由に描いてみましょう」と指南しているように見せかけていますが、やはりそれは真意ではなく、キャンバスに収まるような小さい人生を送るな、より人間的に生きろと言っているような気がしてなりません。若者を応援し魅了し続ける岡本太郎の言葉は本当に奥が深いと感じます。
『岡本太郎の功罪』☟
http://tundereboyz.blogspot.jp/2016/05/blog-post_94.html






2017年5月17日水曜日

久しぶりに食べたもの

 ダイエット継続中のツンデレボーイズでございます。先日、久しぶりに食べたものがございます。それはラーメンです。ラーメンと言えば、高カロリー、高糖質とダイエットの天敵ですが、たまにはいいかも(意志が弱い)という理由からラーメンをいただきました。すると思わず「あ~おいしい」と声を出してしまいました。そう、おいしい食べ物は高カロリー、高糖質なのです。だから美味しいものばかりを食べ、運動を怠ると太ってしまうわけです。
 久しぶりにラーメンを食し感じた事は何事も久しぶりが良いということでしょうか。おそらく毎日ラーメンを食べていたら、味に慣れてしまい、そのおいしさに対する感動は薄れてしまうでしょう。ということはとんでもない美女と毎日一緒にいたら、同様に飽きてしまうのかもしれません。人間の慣れは怖いものですね。

2017年5月16日火曜日

鉛筆削りが無くて

 僕はボールペンよりも鉛筆を多用するようになりました。理由はボールペンのボールが回らずにインクが出ないことがあるからです。最終手段として、消しゴムの上を走らせても全くインクが出ない時にはもはやボールペンはボールペンとしての役目を終えているのです。
 そんな時に鉛筆は大活躍します。芯が金太郎飴のようにどこを削ってもあるのですから、削ればいつでも使えます。しかし、最近その鉛筆の鉛筆削りを紛失してしまい、途方に暮れてしまっていました。結局見つからなかったので、カッターナイフで削ることにしました。すると、子どもの頃の記憶が蘇りました。僕は子どもの頃、カッターナイフで鉛筆を削ることが得意であったことをはっきりと思い出したのです。
 こうなれば鬼に金棒。鉛筆削りなどは無くても良いですし、昔のような電動鉛筆削り機なんて電気の無駄だと思います(まあ持っている人はいないでしょうが・・・)。とにかく鉛筆を削るにはカッターナイフがあれば十分な訳で、これからはボールペンとはお別れをし、同時にボールが回らずインクが出ないストレスからも解放されたいと思います。

2017年5月15日月曜日

スニーカーの履き心地

 少年の代名詞はスニーカーです。僕はハートだけはいつまでも少年ですから、スニーカーが大好きです。そこで、改めて主張したいのがスニーカーの履き心地についてです。おそらくスニーカーを履いたことがない人はいないと思うので、各自履きやすい、履きにくいといった表現が伝わると思います。
 そこで賛否が分かれるはずですが、スニーカーはやはり価格の高いもののほうが履きやすいと感じます。それはデザインや材料や耐久性、つまりこだわりがあるからコストがかかり価格が高騰してしまうのでしょうが、僕は今までに価格が低くて良いスニーカー、すなわち履きやすいスニーカーに出会ったことがありません。
 コストパフォーマンスが良いスニーカーがあれば是非愛用したいのですが、前述の自分の経験則からもスニーカーはある程度のお金を支払ってでも良い製品を購入し、履きつぶしたら再び、新しい良いモノを購入することがベストな選択だと思います。

2017年5月14日日曜日

ツンデレボーイズのLINEスタンプ第124弾『いたずら小僧ショウタ2』販売開始

 こんばんは。ツンデレボーイズのLINEスタンプ第124弾『いたずら小僧ショウタ2』『Powerful Syouta2』の販売を開始しました。いたずら小僧ショウタのスタンプのパート2になります。前回よりもパワーアップしたショウタをよろしくお願いします。
 今回のスタンプも申請から承認までがスピーディーでした。LINEのスタッフの皆様、いつもありがとうございます。また、今までにご購入いただいた皆様、本当にありがとうございます。
 それではツンデレボーイズのLINEスタンプ『いたずら小僧ショウタ2』はこちらになります☟

2017年5月13日土曜日

UTme!で4度目のスタッフピックをされ嬉しかった話

 こんばんは。久しぶりにUTme!でスタッフピックをして頂きました。通算4度目になるピックアップです。しかも今回はアプリを開くとなんと一番上の目立つ部分に僕のデザインがございます。本当に嬉しいです。
 さて、以前にもお伝えしましたが、UTme!は本当に申請から承認までが早いです。相当処理能力の高いスタッフさんたちが仕事をしていると思うので、申請していて楽しくなってしまうほどです。毎日毎日、本当にありがとうございます。
 この度、ピックアップしてもらったデザインにはテーマが存在します。そして、細かく語ろうと思えば15分くらい、文章にするとかなりの長文になります。しかし、勘の良い人ならば言わなくても伝わると思うので、ここでは語る必要はないと感じています。あえて言うならば、僕自身の主張をシンプルに表現したということでしょうか。あまりごちゃごちゃさせると何が言いたいのかわかりませんし、何よりこのデザインはオマージュなのですから、それが伝われば充分です。
 これからも自分が納得できる、また他人からも好いてもらえるような作品を作り続けたいと考えています。お時間がございましたら、ぜひチェックしてくださいませ。

僕がスタッフピックされたものはこちらになります☟
https://utme.uniqlo.com/jp/front/mkt/show?id=60543&locale=ja

2017年5月12日金曜日

時代は巡る

 普及の名作と呼ばれるような作品は音楽や絵画、文学や映画など各ジャンルに存在すると思います。僕は以前、普及の名作と呼ばれるものを信用していませんでした。理由は昔のものは何だか古臭いからでした。ですが、ある一本の映画を観てから考え方が一変しました。その映画は1994年に公開された作品でした。ということは、23年も前の作品なのです。その映画は名作中の名作と呼ばれる映画ですがテーマが重そうであり、また公開からずいぶんと時間が経過していることもあり、敬遠してしまっていたのです。
 結局、その映画を観た感想は「こんな良い映画を避けていたなんて人生損をしていた」というもの。僕はそれから考え方を変えるようにしました。昔の作品は時間が経過していることは事実です。それでもごまんとある映画の中から生き残り、名作と呼ばれているわけですから、そこには人を感動させる何かが存在するのです。そのことを頭に入れておけば、昔のものだからと頭ごなしに避けたりせず、過去の名作を1度は手に取って観たり聴いたりしてみることが必要だと反省している次第なのです。

2017年5月11日木曜日

メディア操作の恐怖

 メディアに出ている人にとって最も気にする部分はその印象、イメージだと思います。誰だって、良い印象、良いイメージを持たれた方が良いに決まっています。
 特定の有名人を陥れる目的、面白がって取り上げる目的で、いわば意図的にイメージを悪くする行為をメディア操作と呼びます。たとえば、1990年代のマイケルジャクソンがまさにそうでした。僕はその頃、マイケルジャクソンの歌やダンスをロクに知りもしなかったのに、メディアにおける児童虐待の報道を真に受けてしまい、単なる変な人だと思い込んでいた過去があります。本当に児童虐待があったかどうかは当人たちにしかわからない問題です。マイケルジャクソンの歌とダンスでマイケルジャクソンを評価すべきだったと今は反省しています。
 マイケルジャクソン以外にもおもしろおかしくメディア操作をしているケースはあります。おそらく才能のある人は少し常軌を逸している部分を有しているので、それがメディアのターゲットになってしまうのでしょう。とはいえ、才能のある人、その人の仕事で評価する癖をつけるとメディア操作をされずに、自分の目で人を判断することができると僕は信じています。

2017年5月10日水曜日

ビニール傘の

 昔のモノでデザインが良いものが多いと感じることがあります。それが素晴らしいデザインが普遍的である何よりの証明です。だから現在のデザインが必ずしも良いわけではなく、消費者はそこらへんをきちんと意識して購買をしなければならないと思います。換言するとブレないような自分の目を養う努力を怠らないようにする、ということでしょうか。
 これから雨が多くなり、梅雨の時期が到来します。そこで大活躍するのが傘です。若者で結構な雨が降っているのに傘をさしていない人を見かけたりします。ですが、雨に濡れたことで風邪をひいてしまい、その後の予定が狂うことを想定できる人は、雨なのに傘をささないというリスキーなことは避けるでしょう。
 雨の日、どうせ傘をさすのであればビニール傘のような味気ないものではなく、きちんとした傘屋さんの傘をさすと雨の憂鬱を吹き飛ばせると感じます。僕の親戚の叔父様が傘屋さんをしていた時に頂いた傘は、もう10年以上経ちますが今でも大活躍しています。やはり良いモノは長く使えるのです。ビニール傘とは重みが違うと断言できます。

2017年5月9日火曜日

BGMの効果

 よくあるアルファベットの略語にBGMがあります。BGMはバックグラウンドミュージック(BackGround Music)の略語です。最近、映画を観ていたら本当にさりげなくBGMが流れていました。最初は音量がおかしいのかと疑ったくらいです。その後、その映画の監督のインタビューを見たところ、BGMをさりげなく流すことを心がけたと知りました。
 映画監督は芸術監督のようなものなので、細部にまでこだわるのは当たり前ですが、その映画監督のインタビューを見るまで、映画のBGMを意識して映画を観ていない自分を発見し、そんな自分を恥じてしまいました。
 たとえば、映画から音楽を奪えばサイレント映画になります。だからといって、無駄にBGMを付けると映像やストーリー展開の邪魔をし、効果的なBGMの役割を果たさなくなってしまいます。逆に前述のBGMをさりげなく流すことで、ストーリーや映像に厚みを加え、観客をスクリーンへと引き込むことに成功することもあります。そんなことも知らずに感情移入し、気が付けば泣いていたなんてことになれば、完全に作り手側の勝利です。
 これからは、BGMに注意しシビアな鑑賞者を気取りながら映画やドラマを観たいと思います。また、人生の楽しみがひとつ増えた気が致します。

2017年5月8日月曜日

手汗の疑問

 人間は緊張したりするときに、手汗をかくと思います。もちろん中には全く手汗をかかない方もいらっしゃるのかもしれませんが、たいていの人は手汗かいた経験があるはずです。僕は以前、手汗に悩んだことがあります。緊張すると手に汗をかいてしまうので、なるべく緊張しないような生活を心がけましたが緊張はコントロールできるものではないのです。そもそもなぜ手汗が存在するのか疑問でした。こんなに露骨な部分ではなく太ももに裏とか目立たないところに汗をかいてくれれば、どんなに楽だろうと感じたことも。
 たとえば、接客業に携わる人でレジにおいてお金のやり取りをしなければならない場合、手汗に悩んでいたら勤務にならないはずです。このような悩みは他人には大した問題ではない場合が多いのですが、当人にはかなり深刻な悩みとなるケースが多いのです。
 結局、現在の僕は手汗をかくことに悩むことはなくなりました。これは僕が手汗を気にしなくなったから治ったのであり、気にし続けていれば永遠に解決のできなかった問題でした。

2017年5月7日日曜日

似ちゃうな~

 おそらく何かをコレクションする収集癖のある人にとっては、タイトルの「似ちゃうな~」は共感して頂けるフレーズだと思います。雑貨が好きな人は似たような雑貨を集めてしまう、車が好きな人は似たような車ばかりをコレクションしてしまうという具合です。
 僕は以前、細身ではないデザインのテーラードジャケットを集めていました。ですが、着ていないものも多かったので、断捨離をすることにしました。その時に思わず発してしまったのが「似ちゃうな~」でした。つまり、似ているものを買い集め、断捨離後も似ている服が残ってしまうということです(断捨離できていないと言われればそれまでですが)。洋服は好みが分かれますが、僕は色で購入を検討します。その時に黄色が好きであれば黄色を買い集めるのですが、結局長く着れそうなネイビーやブラック、グレーに落ち着きますので、ほぼ3色のテーラードジャケットばかりが手元に残ってしまうのです。
 では紺ブレなら紺ブレを1着手元に残して、あとは処分をしてしまえばよいのですが、微妙にシルエットの違い、肩パットの有無等の他人には見分けがつかない細かいこだわりが出てきてしまい、断捨離を完成させることが出来ずにいます。
 お買い物に行く時にも、欲しいと手に取ってしまうものは結局、家のワードローブに収まっているものばかりです。もうこれからは「似ちゃうな~」と言わなくてもいいような買い物をしなければならないと肝に銘じている僕なのであります。

2017年5月6日土曜日

GWの過ごし方

 もうすぐゴールデンウイークが終わってしまいますね。みなさまはどのようにお過ごしでしょうか。どこへ行っても混んでいると思いますが、休みにお出かけをしようと考えることは誰しも同じなので仕方がありません。逆にこの休みを家から一歩も出ないで過ごす人がいたら、それはそれでおもしろいですが・・・。
 さて、仕事ができる人は半年くらい前からGWの予定を立てるという記事をネットで見ました。これは、賛否両論あると思いますが、さすがに半年前から予定を立てることはやり過ぎのような気もします。ホテル等の予約が半年前でなければ取れないのであれば、理解できます。しかし、予定を立てることを半年前からすると、何だか本番のGWがつまらないものになってしまいそうです。旅や休暇は行き当たりばったりが楽しかったり、思いもよらぬ出会いに恵まれたりするものです。いわば無計画が引き起こす運命とでも言いましょうか。
 結論を申し上げるとGWだけでなく、お出かけをする時に、あまり綿密な計画をしてしまうとお出かけをさせられている感が出てしまい楽しくないのではないかと僕は思うのです。

2017年5月5日金曜日

細かさと粗さ

 仕事でも趣味でも突き詰めると細かくなければならないと思います。こだわることは細かさを追求することです。いい加減なものよりも細部まで計算つくされたものに人は感動を覚えるのです。
 絵やイラストにおいても同様で、最初は細かいものが描けなくても、だんだんと細かいところをこだわるようになり、ほとんど目に見えないような部分まで細かく描くようになります。しかし逆に、ヘタウマと言いますか、わざと粗い絵を描きたくなる時もあります。これはうまく描こうとするのではなく、線を歪めて描いたり、きれいに見えないように描くわけですから難しいと言えば難しいのです。ピカソは少年時代に大人顔負けの写実的な絵を完成させました。その後青の時代やバラ色の時代、キュビスムの時代を経て、シュールレアリスムの時代に突入します。シュールレアリスムは俗にいう子どもの落書きのような絵画です。ピカソ自身も「子どものような絵を描くことで救われている」と発言していました。極めてしまった絵を壊し、変化をし続けたピカソだからこそ説得力のある至言です。
 歌手もそうですが、必ずしも歌が上手い人がメジャーになったり、世に残る名曲を生み出せるわけではありません。要は味が出せるかどうか、その人にしかない魅力を醸し出せるかどうかがポイントなのだと思います。

2017年5月4日木曜日

期待すること

 人間は未来の自分に対し、誇大な期待をしてしまうと聞いたことがあります。だからダイエットすると決意したら、スポーツジムの会員になり、高い年会費を払ったのにも関わらず、ほとんど行かないでダイエットにも失敗するという最悪の事態が起きてしまうのです。これは「いずれ・・・」という根拠のない前向きな期待が人間に過ちを与えてしまうのだと分析できます。たいていの人はよほど意志が強い人でない限り、仕方なく義務的にやらなければならないことは先送りしてしまう傾向があります。
 僕は学生時代、勉強がダメでしたから、いつもいつもテスト前になって一夜漬けを試み失敗を繰り返していました。なぜ毎日の復習を怠るのかというと、勉強が嫌だったからです。そしてテスト前にちょっとやればなんとかなるだろうという期待があったからです。ダイエットも勉強も好きな人は少ないと思います。よって、義務感が強いものを先延ばししてしまうことは日常生活においては、よくあることなのではないでしょうか。
 逆に将来あるべき自分の姿を想像し、毎日毎日コツコツ努力できることは凄いことです。そういう人だけが未来の自分に対し期待をして良いのだと思います。

2017年5月3日水曜日

「あれ何だっけ?」は

 僕は昔から、好きなことの記憶力は良いのですが、嫌いなことを覚えるのが苦手です。学生の頃は、日本史とか生物とか、自分にとってあまり面白くないことを覚えることが苦痛でしょうがありませんでした。その影響が今の自分に残っているためか、好きなこと以外の記憶力はとても弱いです。
 好きな詩人の代表作は、1度読めば記憶できるのに、興味のない漢詩などは幾度読んでみても、全く頭に入ってこないのですから人間は不思議なものです。
 そういえば「あれ何だっけ」となかなか記憶が思い出せないのは、老いの始まりと聞いたことがあるのですが、真実なのでしょうか。

2017年5月2日火曜日

緑茶について

 僕はコーヒーや紅茶が好きです。しかし、どちらも西洋から伝わった飲み物であります。伝統的な日本の飲み物で忘れてはならない飲み物は、もちろん緑茶です。食後や一息つきたい時に緑茶を飲むと、ほっとした気持ちになります。これはお茶が僕自身の心にある和の精神を回復してくれるからに違いありません。個人的には和菓子、中でもどら焼きと緑茶の相性が抜群だと思います。ここに記しているだけで、どら焼きと緑茶のセットを飲食したくなってしまいました。
 そういえば、緑茶はガンを予防すると昔から言われていますが、医学的にその情報が正しいのであれば、日本の平均寿命が世界的に見ても高い理由は、緑茶が関係していると考えても良いような気がします。

2017年5月1日月曜日

眠れない時に

 真夏の熱帯夜でもないのに、寝付けない時があります。普通の1日を過ごしたのに、なぜか眠れないのです。僕はこんな時、諦めて好きな音楽を聴いたり、絵を描いたりして過ごします。以前は、クラッシック音楽を小音量でかけたり、鳥のさえずりや川の流れの音を流したりして(必死すぎる)、なんとか寝ようとしましたが、それは無駄な努力でした。眠れないということは目が覚めて脳がスッキリとした状態ということなのですから。
 それならばということで、僕は眠れない時は無理に寝ようとはしません。次の日に支障が出ても、それはそれで仕方がありません。人間は、1日くらい寝なくたって平気なものです。