2022年10月18日火曜日

無名でいることの

  最近思うのが、無名でいることの自由さ。逆に有名人は大変だな〜と考えてしまいます。学生時代は人気者がいて、彼らは彼らで大変だったと思いますね。ちなみに僕は小中高の学生時代は目立つ存在ではなく、クラスの端っこのほうにいるような学生でした。とはいえ、大学生になるとアフロヘアにしておしゃれに興味を持ってしまったので、有名なサイトにスナップされたりして、学校の中では「おしゃれで有名なやつ」になってしまいました。すれ違う同級生たちに「あいつとよくトイレで会うんだよ」とか言われて有名って窮屈だと感じました。今はマスクがコロナ渦で当たり前ですが、昔はマスクとかあまりしている人はいなかったので、すぐに気づかれてしまいました。

 結果的にファッションは卒業し、ミニマリストになれたので、無名の人間に戻れました。「アフロでおしゃれなやつ」に期待をしていた連中も軽い感じで去っていったので、僕は良かったと思いますね。軽々しく寄ってくる人は簡単に去っていきます。正直、無名でいることは幸せですね。街を歩いても「写真撮らせてくれません?」とか聞かれませんし、振り返る人もいませんし、街中に溶け込めます。つまり無になれるという感覚でしょうか。僕はもともとなんの取り柄もないふつうの人間。ただセンスがあるだけです。子どもの頃から一貫してセンスだけはありますね。センスは枯渇しません。ファッションに興味があった頃も人を真似したり、雑誌を見たりすることもありませんでした。ただ、自分のセンスを形にするだけ。それは今でも変わっていませんね。

 みなさまは有名なかたでしょうか。反対に無名である人がほとんどだと思いますが、無名って幸せなことだと思います。指をさされたり、写真をねだられたり、面倒くさいことが無名にはないからです。人間には身の丈にあった人生があるかと考えることができます。僕は大学生の頃は有名でしたが、それは学校の中だけのこと。しかも自分が自分でないような気がしていて、常に疲労していましたね。もう2度と目立つことはしたくないです。ひっそりと無名で自分らしく生きていきたいと切望しております。 



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