2022年9月10日土曜日

慣れについて

  「おいっす」と友人同士で挨拶します。ですが、最初は僕のほうが敬語を使用しておりました。なぜなら友人のほうが歳上だから。いつの頃からか、上記のような挨拶に変わりました。理由は慣れですね。彼と過ごす時間はとても楽しいので、気がついたらタメ語になってしまいました。それを反省し、先日「敬語使わなくなっちゃってすいません」と言ったら「気にすんな」と一言。やはり器の大きい人だと痛感させられました。僕は良く言えば繊細、悪く言えば、細かいことを気にする小者。小者なので、仕事で人の上に立ったりリーダーになったりするタイプではありません。フリーのイラストレーターが天職だと自負しております。

 タイトルの慣れは、実は怖いことなのかもしれません。たとえば女性で、男にすっぴんを晒すのが当たり前になってしまい、男側がその女性を女性として見れなくなってしまう、これは結構あるあるなのではないでしょうか。女性側には非はないのですが、男は恥じらいのある女性を好みます。当たり前のようにすっぴんを見せてくる女性に、慣れという意味において、萎えてしまうことがあると考えることができます。僕が女性と関わって興ざめしたのが「すげー」という言葉遣いをした時です。それまではとてもかわいいと思っていたのですが、ついつい女性友だち同士の時の顔が出てしまったのでしょう。それからその子は僕に対して緊張感がなくなり、慣れが出てきてしまったと考えることができます。

 親しき仲にも礼儀あり、このような素晴らしい言葉、格言がございます。これは大切なことですし、冒頭の友人にはもう1度、敬語を使ったほうが良いかどうか、確認を取ってみようと思いましたね。彼はきっと「楽しけりゃいいじゃん」と言うはずですが、慣れは本当に怖いものなので、僕が彼のことをリスペクトしていることだけはわかっていてほしいと考えております。みなさまもくれぐれも慣れにはお気をつけくださいませ。



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