2017年5月21日日曜日

制服の存在理由

 学生の頃、細かく分けると中学も高校も僕は制服がブレザーでした。学ランに憧れていましたが、縁がなく着ることができませんでした。学生の頃は気付きませんでしたが、日本は学校の制服以外にも仕事における制服がたくさん存在します。なぜ制服は必要なのかが本日のテーマになります。
 以前、このブログの中で学校のジャージのデザイン性が皆無なのはなぜなのかとお書きしたことがあります。結論はそちらのほうをご覧いただきたいのですが、学校の制服のデザインも昔から全く進化していないことは確かです。これはやはり制服を着て学校へ行くことが当たり前、制服を着て勤務することが当たり前と思いこんでいるため、誰もそのことに対して疑問に思わないことが根底にあると考えられます。だからといって、疑問に感じたことをそのままにしていては人間的な成長はありません。
 制服を必要とする理由は、日本社会特有の規律を乱さないためのアイテム、それが制服なのではないかと僕は分析しています。見た目という個性を排除し、とりあえず画一的な制服を着させていれば、学生、社員は反発をしないだろう、とにかくお上に逆らうな、という暗黙のメッセージのようなものが感じ取れます。しかし、社会人の場合、例えば駅員さんのようなお仕事をされている人には制服は必要な気がします。理由はお客様との線引きが必要だからです。乗客が困った時に一発で視覚的に駅員を探さなければならない時に制服を着ていないと駅員さんを発見するのに時間がかかってしまいます。病院も同様で患者が全員白衣を着ていたら誰が医者なのかがすぐにはわからず混乱が生じてしまいます。
 その意味で制服は必要ですが、制服とユニフォームでニュアンスが異なります。制服は着させられている感じ、ユニフォームは前述のように世の中のためになるような統一された服装という感じでしょうか。
 学校の制服がない、私服で登校しても良い学校が実際に存在します。そんな学校に限って極めて偏差値が高いのです。これは勉強のできる学生は自己管理能力が高いので、制服を着させて締め付けを行わなくても大丈夫だという何よりの証明です。
 僕は、学校に制服が必要ないと言っているわけではなく、あくまでもなぜ制服が必要なのだろうかという疑問を抱いているにすぎません。現実的に学校から制服が廃止されたら、学生は「明日何を着ていこう」と悩むでしょうし、何を着ていくかを考える時間が積み重なると相当な時間になります。そんな時間があるならば将来のための勉強に費やした方が学生のためになるとも思います。
 要は、日本は偏差値教育なので、勉強のできる学生には制服は必要ないがそれ以外の大半の学生の方たちには制服を着てもらい、締め付けを行わないと収拾がつかなくなり、やがては社会の乱れにつながりかねないので、とりあえず制服を必要とする。このような適当な理由なのではないかと僕は結論付けます。

『学校のジャージのデザインが古臭い理由』 ☟
http://tundereboyz.blogspot.jp/2016/07/blog-post_27.html

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