2019年8月20日火曜日

安心感は

 日本人はみんなと一緒であることに安心感を覚えるみたいです。逆に人と違う他人を排除しようとする傾向が強いです。僕は昔、人と違う見た目でした。いわゆる個性的な人種です。今思えば、見た目だけ個性的なだけでしたが、その時はいろいろと大変なこともありました。まず見た目で、突拍子もない行動をするのではないかと疑われること。次に「どこかに遊びにいこう」と誘われないこと。それから「隠れキャラだよね」と隠れてもいないのに勝手に隠れキャラにされてしまうこと。いろいろありました。それから年配の人からの忠告。「人は見た目が100%」という注意に近い忠告を受けました。個性的な人はどんな人なのかと疑問に思っている人は渋谷や原宿に行き、街並みを眺めていれば一目瞭然です。人と変わった風貌の人が個性的な人たちです。そして、渋谷、原宿の個性的な人は磁石のように個性的な人たちを呼び寄せるのです。かつては僕もそんな人たちの一員でした。
 その後試行錯誤の結果、僕はシンプルで心に開放感があるミニマリストになることができました。それでも僕はみんなと一緒であると感じたことはありませんし、みんなと同じである必要はないと確信しています。つまり、僕は自ら個性的な風貌を放棄したのであって、個性的な人種を否定しているわけではないということです。僕が個性的であったのは見た目だけで中身はいたって普通の人間です。そして人の数だけ人の中身が違うことも理解しているつもりです。
 学校に行くと制服があります。あれは安心感の象徴です。制服を統一することでみんなの安心感を満たそうとしているのです。
 その意味で、安心感は統一感であると断定できます。だから実際に修学旅行で私服行動になると、急にみんな「何を着たらいいのか」と困ってしまうのです。大人になっても私服を選択することはエネルギーのいることです。服装で安心感を求めたい人はユニクロへ行けば良いだけの話です。無事、お悩み解決ですね。

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